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健康第一

2007-08 冬アニメ序盤数話(4)君が主で執事が俺で  

君が主で執事が俺で http://kimiaru.jp/index.php

脚本には勢いみたいなものも感じるし
それなりに話を引っ張っていくパワーもあると思うけど・・・
何か惜しいな、と思うことしきり。

作中では「みんな濃い人ばっかり」と繰り返し言ってますが
僕には登場人物は皆同じような性格の人に見えます。
「主」「執事」といった設定をきちんと活かすなら
もっと個々の仕草や立ち居振る舞いの差異にメリハリが必要かと。
森羅の出ていないシーンにこそ森羅の絶大な影響があって然るべきです。
その部分が足りないから、人々の中心にいるはずの森羅が空気化しかかってますよね。

朱子回もどうせなら終盤でやって、それまで朱子のドス黒い部分を
たくさん描かないと、生い立ちの設定が消化不良になるような。
あらゆる条件下で主人公にストレスを与えうる折角の美味しいキャラが
早々にいなくなってしまい、ただのサービスカット要員に格下げになってます。
朱子と主人公の衝突で、主人公と他キャラとの接点も自然に拡大していくと思うんですよ。
そういう方向に朱子というキャラを活かさないのはあまりにも惜しい。

全員で食卓を囲むのも、絵的には和やかでホームドラマ色は強まりますが
食事シーンは労使関係を記号的に表現する好機ですから
これを捨てるのは対価として釣り合わないし、もったいない気がします。
もっとも、これはあとで森羅の性質を表現するための伏線である可能性もありますが。

さらに細かい部分まで突っ込むと、例えば紅茶を飲むシーンなら
作法としてティーカップを持ったら片方の手でちゃんと皿を持つ。
その何気ない仕草のひとつひとつがキャラクターの内面を「説明する」わけですが
そういった部分があまり丁寧に作りこまれていないのが残念。

言葉遣いが出鱈目なのも惜しいというか、今のままでは台無しに近い。
敬語ってのは便利で、ちゃんと使うことによって人間関係のバランスから
その人の性格や素養、育った環境や人間性、社会的な立場からその時の感情まで
多くの部分を自動的に説明できてしまう。
だから敬語が上手に使えていないと、その分を説明する余分な尺でソンをする。
同じ意味で「たどたどしい敬語」や「使いこなせていない敬語」も
かなり使えるアイテムなわけですが
脚本家がそれを理解したうえでやってないと意味がありません。


総合的にはいまのところ「普通の人が作った作品」といった感じです。
遠慮がちながらジャニーズネタをやり切った度胸などは賞賛に値しますが。

でも、後半に大化けする潜在力もあるように感じるんですよね・・・
どうなるでしょうか。




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