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大匙屋

聞かせてもらうぞこの世界の謎を

鬼才ハンス・フィッシャーケーゼン  


■Verwitterte Melodie 1943年 by ハンス・フィッシャーケーゼン(ドイツ)



3DCGに慣れた目には、これが手描きとはにわかに信じがたい精度の静物回り込み・・・
一体何層だ圧倒的クオリティの密着マルチ・・・
そして今イチ魅力のないキャラクターデザイン・・・

これがハンス・フィッシャーケーゼンの真髄であります。
共和国ドイツが生んだ偉大な商業アニメーター、フィッシャーケーゼンに関連した日本語の文章、わりと少ないようなので僕も少しだけですが記しておこうかと

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■ハンス・フィッシャーケーゼン Hans Fischerkösen (1896 – 1973)

フィッシャーケーゼンは「ドイツにおけるウォルト・ディズニー」とまで呼ばれ、非常に多作な広告映画作家でありドイツ屈指の商業アニメーターのですが日本では無名。多分海外アニメスキー御用達バイブル=ジャンナルベルト・ベンダッツィの「カートゥーン:アニメーション100年史」で比較的扱いが小さいからかなと。あの本は表現主義とかハンスリヒターなんかの天才アーティスト紹介により熱心だったりするから。フィッシャーケーゼンもわりと凄い人なんだけど器用貧乏というか、イメージ的に小室哲哉みたいな人かもしれない。

ドイツ・バートケーゼンという町はよく知らないけどブドウ畑と温泉で有名らしいので実質的に石和温泉であります。ハンス・フィッシャーはその人口3000人の田舎町に1896年(明治29年)、建材店の息子として生まれました。フィッシャーは地味でありふれた苗字だったので、キャリア初期に生まれ故郷の地名を苗字に追加したそう。櫻井絵美里サヴァンナ。

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幼い頃から喘息で、よく病床で過ごすうちに絵を描くようになったハンスは、ライプチヒにあるアートアカデミーで3年間学びました。第一次大戦(1914~1918年)に通信オペレーターとして駆り出され、そこで見た塹壕戦の悲惨な光景にインスピレーションを受けて1919年に23歳で最初の短編アニメーション映画「西の穴」を制作(残念ながらフィルム現存しない)。これが新規の広告映画受注へとつながり、キャリアが本格的にスタート。広告映画Pユリウス・ピンシェヴァー(Julius Pinschewer)が彼に目をつけ、1920年代に大手映画会社UFAの広告配給が始まるとドイツ全土がハンスの広告映像を目にするようになります。当時のドイツのアニメ産業は、こういった広告映画のおかげで経済的に健全な産業を維持することができていました。ハンスは一躍、業界で頭角を現していきます。

やがて第二次大戦が始まるとナチス政府の命令でライプチヒのスタジオを畳みポツダムへ移転。映像のプロパガンダ効果を熟知していたゲッペルスはドイツのアニメーターたちに子供向け国威発揚映画を作るよう指示。政府は特にハンスに向けて2つの宿題を課しました。要約すると「ディズニー的なマルチプレーン映像をドイツアニメでもやれ」「フライシャー的な立体光学プロセスをドイツアニメでもやれ」「できるだろ優秀なドイツ民族なのだからハーン」

根っからノンポリで平和主義者だったハンスはゲッペルスの干渉を煙たがり、個人的に距離を置きたがったようで、捗らない現場に相棒となる漫画家ホルスト・フォン・メーレンドルフが派遣されてきて短期間の協力者となりました。ハンスは彼とわりとウマが合ったようで、じゃあまあ一応やってみるかと取り組んだ結果が冒頭のVerwitterte Melodie (古びた、朽ちたメロディWeather-beaten Melody, 1942), そしてDer Schneemann (雪だるまThe Snowman, 1943) さらにDas dumme Gänslein (バカなガチョウThe Silly Goose, 1944).の三部作。

(以下あとから追記) 

■ゲッペルスの宿題


(1)「ディズニー的なマルチプレーン」
というのはまあプレーンでも密着でもいいんでしょうけどパララックス(視差)を利用して奥行感を作り上げるトリッキーな撮影方法自体を指してると思う。理論的なものは今でも使われる2Dアニメ伝統技術ですが、当時は1940年代ですからテクノロジーが端緒についたところ。横長のガラス板にブックを直接絵の具で描画し、それを左右にスライドさせて撮影するため、巨大なヤグラを組んだようなマルチプレーンカメラが必要だった
70 Years Multiplane Camera in Disney Movies - Compilation




(2)「フライシャー的な立体光学プロセスをドイツアニメでもやれ」

1940年代、世界のアニメーションをリードしてたのはディズニーではなくフライシャースタジオでした。立体光学プロセスというのは僕らの世代が時々やる言い間違いで、正しくは「セットバック」という撮影技術です。どういうものかは見てもらったほうが早いですね。



映像はポパイシリーズの映画「Li’l Swee’ Pea」 (1936年)のもの。ちょっと目の肥えた方なら、この短いシーンの背景美術に何が起きてるのかすぐに理解し驚くことでしょう。案外、今の若い人が見たら、えっコレどうやってるの?って思ったりするんじゃないかな。
これがフライシャーの「セットバック」です。


■Meets Sindbad the Sailor (1936年)

さらにこれ。洞窟を歩く短いシーンですが背景の照明(カゲ)に注目してみてください。
これを踏まえた上でフィッシャーケーゼンによるセットバックが以下冒頭


■Der Schneemann (The Snowman, 1943年) by ハンス・フィッシャーケーゼン(ドイツ)



今でいうエアリアル、ドローン・ショットといったところ。ローファイ画質に救われてるかも。チープなミニチュア実写をアニメと組み合わせてるだけとも言える。まあそうだけど、1940年代にこの発想というか空間把握力すごい。フォッケウルフを生み出した国とはいえ、空撮用カメラワークなんてまだ影も形もなかった時代に、舞い散る雪視点のプロジェクティルPOVですからね。当時の観客は度肝を抜かれたはずです。関係ないけどフォッケウルフって法華狼さんのハンネーの元ネタですよね。


というわけでお分かりかと思いますがフライシャー・セットバックの種明かしは「背景にミニチュア実写を使う」でした

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■Betty Boop and Grampy (1935年)
<以下追記します>


多段マルチ&プッシュイン。低画質なのが惜しまれる
この作品、オリジナルプリントがプラハのどこかに眠っていると言われています。将来良い状態で発見されるとよいのですが



作中流れてるジャズ曲は「Wenn die Woche keinen Sonntag hätt」(もしも一週間に日曜日がなかったら)
作曲ロータ・ブリュネLothar Brühne 作詞ブルーノ・バルツBruno Balz サントラ用オリジナル曲だけどボーカルとか参加ミュージシャンとか詳細不明
この作品とは別にヴェルナーシュバルツという音楽家が同曲を別途レコーディングしてわりと広まった。アンドリューズシスターズなんかに触発された「アラン姉妹」というのがチェコにいて、そのバージョンも有名。探せばYouTubeにある

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aus dem Tonfilm "Verwitterte Melodie"の文字列が見える。「~という映画のサントラより」という意味

ジャズ/スイング曲は「退廃音楽」として規制対象だったんだけど子供向け映画なのでお目こぼしがあったのか、ドイツ人コンビの作詞作曲だからセーフだったのか、でもこのジャズ曲をしてハンスによる反ナチ精神の表出と見る向きもあるわけです。
また、数多の昆虫たちが戯れるさまが多人種共生を象徴してるとか、ガーターベルトの切れ端が青姦を匂わせることからナチズムによるゲルマン女性の理想像を否定してるとか、カブトムシのカップルがオス同士なので同性愛支持してるとか(曲の作詞家ブルーノバルツは当時のドイツで同性愛をカミングアウトしてかなり苦労した方)、後年評論家によっていろいろな「反ナチ的」意味付けが為されました。

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が、後年ハンスの息子さんはこれらについて全部否定しておられます。曰く「生涯にわたり、父はマジでノンポリでした」。

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しかし政府が設立した「マーズフィルム」(=軍隊で訓練やブリーフィングなどに使うグラフィックな映像や軍人教導目的の映画を制作する会社)に参加したことでナチス協力者とみなされ、ハンスは戦後ソ連軍によりザクセンハウゼン強制収容所に送られました。

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ベルリンの北部ブランデンブルク州オラニエンブルク、現在記念館として残されている旧ザクセンハウゼン収容所施設の地下には、ハンスが描いた壁の落書きが保存されています。3年にわたる収容所の不自由な生活の中でさえ、彼のあふれんばかりの想像力は飼いならされていなかったようです。

1948年7月の釈放後、一文無しとなったハンスは妻子を連れてボン近くのメーレムに転居。すぐに新しいスタジオを設立し、あっという間に人生何度目かの成功を収めます。Aral、Afri-Cola、Hariboなどドイツ有名企業の広告映画を続々と受注。ハンスの作品は再び数百万の聴衆に届けられました。







A fabulous collection of advertising films, made between '49 and '60, from Hans Fischerkösen's animation studio. Fischerkösen, although not particularly well known in the U.S., is often referred to as "the Walt Disney of Germany".

ハンス・フィッシャーコーゼンのアニメーションスタジオで制作された、49年から60年の間に制作された広告フィルムのすばらしいコレクション。Fischerkösenは、米国ではあまり知られていませんが、「ドイツのウォルトディズニー」と呼ばれることもあります。


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1950年代、広告映画で誰よりも成功を収めたハンス・フィッシャーケーゼンですが、60年代=テレビ時代は映画館から徐々に客足が遠のき、コマーシャルフィルム自体も短く、速くといったテレビ時代の需要に合わせて大きく変化。ハンスは制約が増え続ける仕事に息苦しさを感じるようになっていき、1969年、73歳の時に会社を息子に譲って引退しました。しかし創作意欲が潰えたわけではなく・・・そこからさらに新境地のテレビ向け人形劇アニメに挑戦するため新会社設立に奔走。その準備がようやく整った1973年に、急性心不全で世を去りました。享年77歳。

人生を掛けた商業アニメ制作、馬車馬のように働き続けためまぐるしい生涯の中で彼が最愛の息子に残した言葉は
「時代に追いついていかねばならない。さもなくば時代に追いついていかねばならない」


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さてこちらはヘッセン州フランクフルトにある地方放送局ヘッセン放送(HR, Hessischer Rundfunk)のマスコット
1958年にハンスがデザインしたものが60年経った今でも愛され、使われ続けているのだそう。
視聴者が着けた名前は「オットーおじさん (Onkel Otto)」。一応オットセイではなく犬らしい

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アニメーションは当時ハンスのスタジオで働いていたハインツ・ティシュマイヤーHeinz Tischmeyerが担当
定番のBGMはロジャー・ロジャーの「ホリデーパーティー」



劇場用の広告映画を作り続けたレジェンドアニメーターの仕事は今やほとんど忘れられてしまったけれど、新しい時代、TV用に残した仕事のほうが半世紀を過ぎた今もハンス・フィッシャーケーゼンの名前を後世に伝え続けてるって、なんとも不思議な巡りあわせのような気がしますね。


(了)


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category: 海外アニメ翻訳

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