大匙屋

健康第一

2012夏アニメ TARI TARI  

TARI TARI http://taritari.jp/
★★ ほしふたつ


すんばらすぃ作品でありました。
和奏の喪失と再生を描く第05~06話などは
ベタとわかっていてもボロボロと貰い泣きしてしまいました。
おっさんキモスであります。
過去と現在を扉の開閉でつなぐ演出など
浅井義之のセンスが光ります。


一方で、シリーズを通して無駄に言葉を尽くし過ぎており、
重要な情報やセリフが埋没しがちなのが少し気になります。

まひるの才能に対するナオの羨望が怨嗟へと変わるきっかけを直接描かず
すべて視聴者に想像させるというのは
手法として野心的である反面、
#12墓参シーンのわかりにくさにつながっています。


33152454120121230_195266.jpg

#12「やっぱり音楽に愛されていたのはまひるだったね」

「やっぱり」というところがポイントです。
まひると過ごした高校時代、ナオの原点には成功体験があった。
しかし音楽に愛されていたのは自分ではなかった。
そしてそのことを自分は最初から知っていた。知っていたけれども抗ってきた。
気付いてみれば廃校に伴い、歌を奪われる立場に。


33152454120121230_195267.jpg


「楽しむこと」というアドバイスと、「友人の力」によって曲は完成したと和奏は告げる。

これに先立つ#08
「私、合唱部に入るまで、音楽は一人で孤独に技術を磨くものだと思ってました。
でもそれだけじゃダメだったんです。(中略)
本当に綺麗なハーモニーを奏でるには、私一人ではできない」
つまり、

・楽しむこと(まひるの信念)
・技術(教頭)
・大切な人の存在(まひるを支えたナオ=教頭、まひるにとっての和奏、和奏を支えた合唱部)

曲の完成をめぐり
教頭と和奏の間に生成されたコンセンサスはこの三点ということになります。


33152454120121230_195262.jpg

かつて一緒に楽しんで悩んでくれた人がまひるにもいた。
まひるもまた、自分一人で楽しんでいるだけでは何も作れなかった。
なぜなら、もしも「楽しむ」だけで何かを作れるものだとしたら
生前の彼女の手でとっくに曲は完成していたはずだからです。


33152454120121230_195263.jpg

「何もかも全部一人で出来てしまう」のがまひるだと思い込んでいた教頭は
まひるが実際に自分を必要としてくれていたことを
ここでようやく理解し、号泣するわけです。

わかりにくいっすよね、ここ。



その他、ヒロハタさん

33152454120121230_195268.jpg

#13「声楽部にも、何か目標がないとまとめられないから」

ヒロハタさんは影の熱演者でありますが
ここで来夏に微笑みかけてしまうのは違うだろと思いました。
演出として、これはヌルい。甘い。わかってない。

彼女に関しては、合唱部主催の白祭への参加を教頭に直訴した上で
来夏に対して最後までツンを貫くべきだった。

彼女には彼女の確固たる信念があり
それには一点の疑いも持っておらず、そしてこれからもそうである。
その強さだけが彼女をこれからも支え続けるはずだからです。

彼女は来夏に「声楽部の凄いところを見せ」、
白祭のすべてが成功裏に終わった後、
来夏のいない場所でようやく笑う。そういう人なはず。

と僕は思うんだけど、どうなのかな。





スポンサーサイト

category: アニメ

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://sajiya.blog89.fc2.com/tb.php/268-12e0581d
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)