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フラクタル 終盤のフリュネの心理的変化について   

フラクタル
http://fractale-anime.com/

いやあ、とても面白かったです、フラクタル。
こう書くと「周りと違う俺カッコイイ」みたいに取られるかもですが
この作品に対する市場の評価はフェアなものではない、とさえ僕は思います。
少なくとも、それくらいには面白かった。まぁ、波長が合ったんでしょう。

「神」である最初の少女が父親から受けた虐待と同じ体験が
フリュネの鍵としての条件になっている、という絶望的なアイデアは
もう「えげつない」と言うしかないです。思いつきもしなかった。
この相似形が「フラクタル」ということなんですね。

で、とりあえず今回は、難解と思われた10-11話でのフリュネの心理について
整理と僕なりの解釈をしてみたいと。


■第10話 「僧院へ」
研究所を破壊された報復に、僧院はロスミレの拠点攻撃を開始する。
ロスミレ側も総攻撃を決定し、事態は全面戦争に突入する。
フリュネは黙ってクレインの元を離れ、祭祀長に直談判に向かいます。

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この時のフリュネの行動目的は「この戦いを止める」ことです。
ダナンの人々や、クレイン・ネッサを守りたい。
僧院には、抵抗する人々の声に耳を傾けてほしい。
フラクタルシステムが無くても、人は自分で生きていける。
この時点でのフリュネの言動は、ロスミレの主張に寄り添っています。

これに対し祭祀長は

 「フラクタルがなければ人は生きていけません」
 「フラクタルは定期的に再起動しないと維持できない」
 「鍵になる決意がないなら何しに戻って来たの?」



ここでフリュネは情に訴える作戦に出ます。

 「姉さまなら私の気持ちを理解してくれるはず。私たちは元は同じフリュネだったのだから」


フリュネとして同じ絶望や苦しみを、祭祀長も味わってきたはず。
もう、フラクタルやめましょうよ。私つらいんですよ。
これがフリュネの本音。

しかしこの作戦は裏目に出て、祭祀長はブチ切れます。

 「私と貴女が同じフリュネ?違う。貴女は世界の愛しい娘。私は世界に愛されなかった娘」
 「私は貴女が憎らしくて羨ましい」
 「しかし、愛する人などいなくとも私はこの世界を守ります」
 「人々は生まれて来た本当の喜びも知らず、大切なものを見つけることもできず、
 ゆるやかに死んでいく。私のように。これは世界への復讐。ざまあ」


簡単に言うと「リア充死ね」ということです。

フリュネと祭祀長とは、自分を取り巻く世界が大嫌いだったという点では一致しているのです。
互いに生まれてくるタイミングが違えば、二人はそっくり逆の立場だったかもしれない。

僧院の指導者として、人類の管理者として君臨してきた祭祀長。
恋も知らず、ヘンな帽子を被らされ、セクハラ親父のお守りをしつつ、
ただ与えられた使命に愚直に従って、人々の無限の欲望を満たし続けてきた。

自分の運命がイヤさに禁を犯して出奔し、男と出会い、遊び呆けていたフリュネの言葉が
これ以上祭祀長に届くはずがありません。

フリュネは説得を断念し、僧院に侵入してきたクレインの元に向かいます。
これで、ロスミレの主張を僧院が呑む形での停戦はなくなった。

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祭祀長は、戦火の拡大に伴い避難を促す婆巫女たちに、儀式の執行を宣言します。
この時祭祀長は、フリュネにもう選択肢が残されていないことを確信している。
フリュネが探しに行ったクレインのそばには、当然のようにネッサがいる。
そしてフリュネは、ネッサを見捨てられない。そのことを祭祀長は知っているわけです。


■第11話 「楽園」
クレインと合流したフリュネは、早期に立ち去るようクレインに伝えます。
ネッサが捕まればフラクタルが再起動させられる。
そうなれば、フリュネの地獄は数百年先まで続き、ロスミレの勝機も無くなります。

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フリュネがバローの身勝手な振る舞いや語りを制止しようとしないのは、
クレインがどうあってもフリュネを置いてその場を立ち去ろうとしなかったからです。
一番聞かれたくない話を一番聞かれたくない相手に聞かせてでも、
クレイン(とネッサ)を僧院から遠ざけたい。

この時点で、フリュネの最優先事項はネッサの安全確保です。
ネッサはフリュネにとって、自分がまだ清らかな体だったころの記憶。
自分の分身である美しいネッサに、ずっとクレインのそばにいて欲しい。
それだけがフリュネの救いなのです。


バローを殺害し、汚れたと感じるフリュネ。
自分はこれ以下はないと思うほど穢れてしまって、何の価値もない。
クレインにもすべての事実を知られてしまい、もう失うものも、守るものも何もない。
そんな絶望の淵にいる自分を、美しいと慰めてくれるネッサ。
そのネッサが、消えかかっていることを知る。

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ここに至って、
<ネッサを救いたい。そのためには「鍵」になってフラクタル再起動しかない>
という、僧院に乗り込んだ当初とは逆の行動目的がセットされます。

僧院、祭祀長の目的は元から現行世界の存続=フラクタル再起動のみ。

本編に描写はないですが、フリュネ(とネッサ)は祭祀長に、「鍵」になる条件として
クレインを殺さないよう請願したはずです。
だから神前とは言え、圧倒的有利な状況にありながら祭祀長はクレインを殺さない。
フリュネは安心してクレインから顔をそむけることができる。

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衛兵を遠ざけたことが、結果的に祭祀長の死を早めるわけですが。
しかし死を覚悟してなお「世界は渡さない」と祭祀長が言い切れるのは、
フリュネに対して約束が守られたことの証であります。




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フラクタル再起動に向かうフリュネ。

 「今こそ、大切な人たちを守ってあげたいの。こんな私は、まだ身勝手でしょうか」


ここで重大な疑問として浮かび上がるのが
「フラクタルを再起動することが、なぜ大切な人たちを守ることになるのか」です。
ロスミレの目的はフラクタルからの解放、再起動の阻止だった。
再起動すれば、彼らにもたらされるのは絶望ではないのか。

「今はとにかくネッサを守りたい」ということなら再起動の強行は理解できる。
しかし「大切な人<たち>を守りたい」というフリュネの言葉が意味するものは何か。


逆に考えれば、
フラクタルを再起動しないことが、大切な人たちを守れないことになるわけです。

スンダは男前で統率力もあり、悪党ではないが、彼には指導者としての人格、カリスマや素養が
ないことをフリュネは看破しています。
たとえばロスミレを扇動し束ねたのもディアスであり、スンダではない。
「鍵」であると知って拉致しておきながら、フリュネを殺さない脇の甘さ。
最終戦でフリュネたちを人質として利用しない、など
星祭では殺戮を強行しておきながら、スンダは非情に徹するということが意外にできない。
未来について仲間に語れない。世界をこうしたい、という強い意志や絶対的自信がないからです。
このことは、スンダの遺志を継ぐグラニッツ一家が呑気に農業をやっていることからも明白です。

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多数派を無視して一方的に体制を破壊し、祈りや宗教さえ人々から奪った以上、
新たな価値観を提示して世界を導く義務がロスミレにはある。
気に食わないからぶっ壊した、あとは勝手にやれ、では無責任の謗りは免れない。
畑を耕している場合ではないのです。
エンリは最後に「クレイン、どうしてるかな」とつぶやくけれど、
彼女は本来なら「世界の人はどうしてるかな」と考えるべきなのです。

ともあれ、バローが死に、目の前でディアスが祭祀長を殺害したため、僧院は存続自体が危うい。
そしてフリュネは、ロスミレにレジームチェンジ後の明確なビジョンが存在しないことを
見抜いています。
つまり祭祀長の言ったように、フラクタルが再起動しなければ、
待っているのはひどく不機嫌な世界。

フラクタルが再起動すれば、新たな分身が自分と同様の仕打ちを受ける可能性は残る。
それでも、歪んだ世界を受け止めて笑っていられる「ネッサの心」が残っていれば、
その時の自分はきっと耐えられる、とフリュネは踏んだわけです。


ここまでのフリュネの心理の動きをまとめると、


 ①祭祀長に直談判した時の優先事項は、即時停戦とフラクタル再起動阻止。
 ↓
 ②クレインと合流後
 無価値な自分の代わりに、美しいネッサにクレインのそばに居て欲しい。
 そのネッサを救うために、フラクタル再起動に転じる。
 ↓
 ③聖域にて
 クレインとネッサのおかげで、この世界が好きになれた。
 不機嫌な世界から仲間を守るために、やっぱりフラクタル再起動。


②→③の過程でディアスが祭祀長を殺害し、僧院が崩壊必至に。
すべてが終わったあと、やはりフラクタルシステムは開店休業状態となり、
世界はソフトランディング。新たな分身が、将来ひどい目に会う可能性もなくなった。

さまざまな条件と思惑が複雑に絡み合い、ひとつのハッピーエンドを形作るこの結末は
見事と言っていいんじゃないでしょうか。


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「フラクタル」で不満なのは、最初の飛び降りがまったく理解できないのと、
ネッサの序盤の笑顔のアップがあまり可愛くないことぐらいです。

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原案者と監督の場外バトルの話は伝え聞いていたので
どうやら脚本の仕上がりが全体の作業時間を圧迫したのは明白でしょう。

どんな良いスタッフを集めようと、時間が足りなければ作画は乱れます。
何とかかき集めることが出来た人材の力量に、コンテの出来も左右される。
作りたい絵ではなく、作れる絵が優先となってしまいます。
ヤマカンはよくやったのではないかと思いますよ。
少なくとも彼は、この作品に対する自分やスタッフの努力と作品の出来を卑下していない。
これは監督として大事なことです。








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