大匙屋

健康第一

2010春アニメ さらい屋五葉  

さらい屋五葉 (12) http://www.goyou-anime.jp/
序盤、政が深遠を覗き込むように弥一に魅了されていく過程で
「そっち側に行くための正当な理由」を
我々も政と一緒に探していることに気づく。
そうして順を追って五葉の面々の過去がメランコリックに語られると
やはり皆それぞれに事情があるんだなと変な納得をさせられる。

唐突に饒舌になる(ように見える)梅。
「五葉が揃う」という意味不明なおたけの言葉。
そしてあっという間に馴染んでいく政。
これら演出はさも当然のような顔をして政を集団に取り込ませていくが
そもそもこの専横的なまでの強引さに我々は不思議と違和感を持たない。
それは我々にとって、彼らが悪事を働くのには「拠所ない事情」が
前提としてあるのが当然で、その本質の部分が語られるまでは
どんな無理も許容しよう、という意識が働くから。
この作品はそういうのをうまいこと逆利用している。

フィクションなのに。
なぜこうも我々は現実のモラルや倫理観に縛られているんだろう。
悪事に荷担するためには相応の理由や暗い過去や重罰が必要であり、
そんな彼らを我々が「許す」ためにさえ何らかの理由が必要だったりする。

そういう前提があるために、実際には我々が渇望しているはずの
「五葉が暗闇で大活躍する単純明快な物語」は
少なくとも1クール内では表現し得ないわけで。
やはりルパンが颯爽と登場した高度成長期などとは違い
今はロマンチックなピカレスクが無批判に成立し得ない時代なのかもな。

なんてことを思ったりしつつ、でも良作でした。

以下野暮なラスト解釈





弥一にとって五葉の目的は返す必要のない人質を返すこと

かつて友と慕っていた使用人弥一が本当に自分を裏切っていたのか、
本当ならなぜ裏切ったのかを知りたかったが
使用人弥一は死んでおり、三枝家ももう存続していないので確かめようがない。

そこで五葉を使って返す必要のないとされる人質を探し
それを返した場合どうなるのか、家人に殺されるのか、
あるいはどのように人生が開けるのかを見たかった。
そこにはあり得たはずの別の自分の人生、「あの時仁の誘いに乗らず
家に帰っていたらどうなっていたのか」があるかもしれないから。

あの時仁の言うことのほうを信じた時点で
実は誠之進が使用人弥一を裏切っていたわけで。
実は仁の言ったことは嘘だったんじゃないかという疑念が
ずっと誠之進の心の中に魚の小骨のように突き刺さっていたのかもしれない。

重要なのは、もしあの時誠之進が家に帰っていれば、
使用人弥一は死なずに済んだのかもしれないということ。
だから弥一は使用人弥一の墓の前で泣き崩れるわけです。
かつて自分の存在を肯定してくれる理解者は世界の中で使用人弥一だけだった。
使用人弥一はもういないが、今は政がいる。自分は一人ではない。五葉の仲間もいる。
現れた政の膝で再び泣くのはそれに気づいたから。


・・・で、合ってるのかな。
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