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黒神、そしてキャラクターの「サガ」について  

ルルーシュ・ランペルージが多くの人の心を捉えたのは
彼がギアスという「王の力」を「手に入れたから」ではなく
彼が力を手に入れた結果「王としての魅力を発揮したから」に他なりません。

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有名な「コードギアス」第01話のギアス発動シーン
アバンで「僕はブリタニアをぶっ壊す」などの宣言があるものの
そんなことは視聴者はこの時点で忘れています。
この時視聴者が驚きと賞賛を与えるのは、
敵が自ら倒れていく異様な状況に対してではなく
窮地を逆転し、手に入れた不思議な力に満足するルルーシュの表情に対してです。
恐るべき力を手に入れた少年が、この先何を成し遂げるのかに興味がわく。
この瞬間まさに王者・ルルーシュは「誕生」したのです。

「主人公」とは何であるかという問いは
なぜこの人が選ばれたのかという命題と同義であると思います。

のび太→ドラえもんの道具を最も有効活用できるダメないじめられっ子
ルルーシュ→ギアスの力を手に入れさえすれば王として君臨できる器を持っている
坂井悠二→自分がトーチと知っても平井ゆかりやクラスメイトのために抗おうとする

視聴者は主人公が何がしかの非日常的な出来事に見舞われ物語がスタートした際
「主人公の身に一体何が起こったのか」と同じくらいの興味で
「その時、主人公が何を選ぶのか」に注目する。

つまり「立っているキャラ」というのは
「設定」として与えられた個性、肩書きや諸条件とは無関係に
「選択する力」=物語を牽引する力を必要とする。

その力を持ったキャラは、そのキャラにしかできない、
もうそのようにしか生きられない、という全存在を掛ける覚悟で選択をする。
「主人公にしかできない選択」をするから主人公たりえるわけです。

もちろんこれは、主人公が主体的・自発的に選択する場合もあれば
演出によって主人公が選択「させられる」場合もありますが、
共通して言えるのは、非日常的な出来事に見舞われるから主人公なのではなく
非日常に遭遇したうえで主人公にしかできない選択をするから主人公なのです。

これはもう、作者によって与えられた、そのようにしか生きられない、
そのキャラ特有の性(サガ)のようなもの。
即ち、立っているキャラ=サガを持っているキャラ であると僕は考えています。
まあ、僕が考えてるだけなんですけどね。



そこで「黒神 The Animation」なんですが。

主人公・伊吹慶太は仇敵である兄を追うモトツミタマ・クロと出会い
クロを狙う敵との戦いに巻き込まれて致命傷を負ったところ
クロの判断で「契約」(心臓の交換)を交わし契約者となる。

状況を把握できないまま混乱する慶太は自分を巻き込んだクロに冷淡だが
クロは兄を倒し本懐を遂げるため、慶太に一緒に戦ってほしいと請願する。

導入部の粗筋はこんなところですが
要するにこの作品の場合、主人公は当初から何も選択肢を与えられない。
本人は理不尽な運命に翻弄されるのはイヤだと思っているが
自分と関わると周囲の人がどんどん不幸になっていくので
なるべく人を遠ざけ、人と関わらないように暮らしている。

この導入部において物語を牽引するのはクロの「目的意識」のみであり、
慶太は物語のブレーキにしかなってないのです。
慶太がクロと一緒に戦うのは、クロを死なせたくないからという理由、
自分の周りの人をこれ以上死なせたくないという願いしかない。
戦いの果てに慶太が手に入れるべきものがない。
つまりこれは慶太ではなくクロの戦いでしかない。
だから謎や陰謀が渦巻いても一向に話に弾みがつかないわけです。
視聴者もクロの無事と大願成就を願う以外に感情移入のしようがなく、
その先の展開に興味を持たせられないから面白く感じない。(※)

主人公たる者は、まず非日常に際し、与えられたサガによる選択をして、
その魅力を発揮し、見るものを惚れさせなければならない。
幾多の困難を乗り越えていける新ヒーローの誕生を「予感」させなければならない。
黒神はここで失敗した。

この黒神の設定で話に弾みをつけ物語を回していくには
主人公が強引に主導権=選択肢を奪いに行く性格であるしかないと思う。
それこそ草薙素子のように「そうしろって言われてる気がする」という
動機で充分なのです。とにかく強引に物語にコミットする。
そうすることで初めて「この主人公が引っ張っていけるに違いない」と
視聴者は考えるわけです。


あらゆる物語は、非日常の扉を開けたときに始まるのですが
そこで主人公が何を選択するのか、またはさせられるのか、
主人公に与えられたサガはどんなものか。
それをきちんと見極めさせてくれる作品は、高確率で良作となります。
そして、逆もまた然り。

まあ、僕が思うだけですが。



(※)奇妙なことに、これを漫画でやるとそれほど違和感がないのです。
「作者」という大いなる意志により物語が統率されている安心感が前提としてあるので
ある程度作者を信頼して読み進めていくことができる。
そして展開次第で普通に良作になりもする。小説も同じです。

しかしこれが集団で作られるTVアニメになると、途端に安心感がなくなる。
演出の意志、脚本の意志、監督の意志など対象が散漫になり
物語が一体どこへ向かおうとしているのかに不安を感じてしまう。
これは二次的創作物の宿命かもしれません。



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category: アニメ

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