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ef 第06話、とらドラ 第09話における良シーンの対比  

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ef - a tale of melodies. 第06話 「flection」

起こっている現象のすべてを人が認識することができないように
言葉ですべてを言い表すことはできません。
どのように意味をこめて定義を重ねても
そこには必ず言い表せなかった、見落とされた現象が残り、
それが気になるから人は真意を伝えようとさらに言葉を重ねます。

現象を言葉にするということは抽象化するということであり
抽象化とはすなわち捨象化の反復であります。
ものの本質を表現するために、本質でない部分を必死に削ぎ落としていく。

しかしどこまで無駄を削ぎ落としても、言葉は本質的な意味を伝えない。
だから最終的には抽象度の高い、あいまいな、包括的な言葉だけが残る。
それが「嫌なのに」という言葉。

それは言わば意味論(セマンティクス)の牢獄です。
情報量はどんどん増えていくのに、逆に意味は失われていく。




とらドラ! 第09話 「海にいこうと君は」

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こちらはまったく逆に、本質的で重要な言葉は何一つ用いていないのだけれど
実に多くの情報/意味が伝わってくるシーンでした。

これに先立つシーンでタイガは北村と、竜児はみのりと2人きりになり
それぞれにさしあたって問題のない良い雰囲気なのだけれど
「何か違う」と違和感を感じさせるような表現があります。

向かい合うでもなく隣に寄り添うでもなく座る竜児とみのりの距離感や
北村と自然体で接することができず言葉も交わせないタイガのもどかしさ、
このあたりの演出は桜美かつしさんの得意分野というか真骨頂ですね。

それを受けての上記リビングのシーンは
それぞれの恋に全力を傾ける二人がふと立ち止まり
これまで有難味に気づかなかった居心地の良さを
改めて認識した叙情的で印象的な場面となりました。

この時のタイガは何ともいえない、実に良い表情をしており
竜児の背中と、それに宛がわれたタイガの足の裏を通じて
二人が互いの体温を感じあっている雰囲気まで伝わってくるようです。
重要な言葉は、何一つ交わされていないはずなのに。



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