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2012夏アニメ 貧乏神が!  

■貧乏神が!  http://www.binbogamiga.net/

貧乏神のウザさがうまく相殺されてない、問題点はこのバランスの悪さに尽きる。

いきなり押し掛けて来て
「あなたは周りの幸福を奪い取っているので幸福エナジーを吸い取ります」
というのが貧乏神側の論理なわけだけど
この理不尽さと調和するためには
市子が居丈高で傲岸不遜なキャラである必要があると思う。

で、物語は

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恵まれている市子をやっかむ同級生が普通にいたり

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「市子さまは本当は寂しがりやなのです」と
わざわざ執事が人となり説明してくれたりで
わりと市子に同情が集まりやすい展開になっていたり


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「ああ、本当はいい子なんやね」とわかるんだけど
こういうのは、もっと後でいいと思うんですよ。
序盤にやらなくてもいい。
市子は別に最初から良い子である必要は無いんです。
そういうのはだんだん見えてくるほうがいい。

貧乏神が現れて理不尽な要求を突きつける。
でもその欲求が決して理不尽ではないと思わせるくらい
市子というのは圧倒的に恵まれていて、強運で、なおかつ性格にも問題があるべきで、
序盤はとにかくそういった彼女の欠点を徹底的に強調するべきなんです。
視聴者の同情など集める必要は無い。
見直させるのは後でもできるわけだから。

そこを間違えてるから、<市子>対<貧乏神>が<正義>対<悪>のような図式になる。
これだと、毎回貧乏神が画面に現れる瞬間が楽しみじゃなくなりますよね。
ギャグのテンポがいい割に序盤のつかみが弱く感じるのは
主にそこが原因かなと。


執事の退場も少し急ぎ過ぎた。
市子のすぐそばにいて、わかりやすくどんどん不幸になっていく人として
彼の立ち位置は重要なものになり得たでしょう。

「これはさすがに何とかしないとマズい」と視聴者に思わせ、
ジレンマを形成させたほうが紅葉のキャラが活き
バトルも終盤の展開ももっと盛り上がるものになったはずです。



その他
・爆発エフェクトけっこう良いのがチラホラと
・花澤香菜は頑張ってる感じで、芸域広がってますね


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category: アニメ

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2012夏アニメ TARI TARI  

TARI TARI http://taritari.jp/
★★ ほしふたつ


すんばらすぃ作品でありました。
和奏の喪失と再生を描く第05~06話などは
ベタとわかっていてもボロボロと貰い泣きしてしまいました。
おっさんキモスであります。
過去と現在を扉の開閉でつなぐ演出など
浅井義之のセンスが光ります。


一方で、シリーズを通して無駄に言葉を尽くし過ぎており、
重要な情報やセリフが埋没しがちなのが少し気になります。

まひるの才能に対するナオの羨望が怨嗟へと変わるきっかけを直接描かず
すべて視聴者に想像させるというのは
手法として野心的である反面、
#12墓参シーンのわかりにくさにつながっています。


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#12「やっぱり音楽に愛されていたのはまひるだったね」

「やっぱり」というところがポイントです。
まひると過ごした高校時代、ナオの原点には成功体験があった。
しかし音楽に愛されていたのは自分ではなかった。
そしてそのことを自分は最初から知っていた。知っていたけれども抗ってきた。
気付いてみれば廃校に伴い、歌を奪われる立場に。


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「楽しむこと」というアドバイスと、「友人の力」によって曲は完成したと和奏は告げる。

これに先立つ#08
「私、合唱部に入るまで、音楽は一人で孤独に技術を磨くものだと思ってました。
でもそれだけじゃダメだったんです。(中略)
本当に綺麗なハーモニーを奏でるには、私一人ではできない」
つまり、

・楽しむこと(まひるの信念)
・技術(教頭)
・大切な人の存在(まひるを支えたナオ=教頭、まひるにとっての和奏、和奏を支えた合唱部)

曲の完成をめぐり
教頭と和奏の間に生成されたコンセンサスはこの三点ということになります。


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かつて一緒に楽しんで悩んでくれた人がまひるにもいた。
まひるもまた、自分一人で楽しんでいるだけでは何も作れなかった。
なぜなら、もしも「楽しむ」だけで何かを作れるものだとしたら
生前の彼女の手でとっくに曲は完成していたはずだからです。


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「何もかも全部一人で出来てしまう」のがまひるだと思い込んでいた教頭は
まひるが実際に自分を必要としてくれていたことを
ここでようやく理解し、号泣するわけです。

わかりにくいっすよね、ここ。



その他、ヒロハタさん

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#13「声楽部にも、何か目標がないとまとめられないから」

ヒロハタさんは影の熱演者でありますが
ここで来夏に微笑みかけてしまうのは違うだろと思いました。
演出として、これはヌルい。甘い。わかってない。

彼女に関しては、合唱部主催の白祭への参加を教頭に直訴した上で
来夏に対して最後までツンを貫くべきだった。

彼女には彼女の確固たる信念があり
それには一点の疑いも持っておらず、そしてこれからもそうである。
その強さだけが彼女をこれからも支え続けるはずだからです。

彼女は来夏に「声楽部の凄いところを見せ」、
白祭のすべてが成功裏に終わった後、
来夏のいない場所でようやく笑う。そういう人なはず。

と僕は思うんだけど、どうなのかな。





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2012夏アニメ アルカナ・ファミリア  

アルカナ・ファミリア http://arcanafamiglia.com/

アルカナ能力の設定がほとんど活かせていない。

精神力を消費ってのが曖昧。疲れて倒れる奴と倒れない奴がいたり
状況によって結果もさまざまなので非常にわかりにくい。
切り札的な感じもせず、弱点らしい弱点もないので緊張感がない。

そもそも「アルカナデュエロ」はアルカナ能力者最強を決める戦いのはずだが
そこでお嬢が最強になる理由もよくわからない。

登場人物は身内オンリーで話に広がりが無く、最後まで最悪の事態とかには
ならないのでスリルもない。
こりゃダメずくしですな。

序盤の第二話で迷子の猫探しが始まるのには唖然とした。
二番目に見せたいエピソードがそれかよと。

このシリーズはいいトコなしですが

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最終話に出てきたこのフェルボスの絵を見ると、これがとっても面白そう。
なので、いっそ最初からこういう話にしたほうが良かったかも。
二期があってフェルボスの展開なら盛り上がる気がする。

作画レベルも低調、ぶっちゃけエロアニメレベル。


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2012春アニメ アクセル・ワールド  

アクセル・ワールド http://www.accel-world.net/

アバターの基礎的なパラメータが現実のコンプレックスやトラウマに依拠するというのは
えげつない話だと思う。
生命の危険を伴わないバトルなので、ゲーム世界に強烈に依存する人格が必要だった。
だからハルは醜い姿をしているということになる。

ダメな人ほど強いということなら、むしろ黒雪姫をはじめレベル9まで到達した王たちが
生来どんな心の闇を抱えていたのかに興味がわく。
まあ、話はそういう方向には展開しないのだろうけど。


ちゆの背信に関しては一応得心。これはキレイにまとめた。
ブラジャー姿を見せたのは意味がわからなかったけど。


突っ込みどころも山ほどあったが
ひとまず物語では、能見が何に負けたのかが不明瞭だった。

「心意」を闇雲に使うと暗黒面に落ちるということなら
能見が見ていて疲れるほどの純粋悪であるのはその暗黒面に片足を突っ込んでいるからで
物語的には、やはり彼がディザスター並みに暴走するのが
彼に相応しいクライマックスであったはずという気がする。

また、能見が最終的に「友情と絆」に敗北する人であるなら
レギオンの友情と絆はいったんズタズタに破壊されるべきであったろうと思う。
この二点に関しては中途半端で終わった印象がある。

能見はゲーム世界から解放され、執着も失ったようだけど
結局彼の魂が救済されたのかどうなのかはよくわからなかった。
そこは重要ではないのかもしれないな。


全体的にチートなアイテムや設定で問題解決をはかろうとする
場当たり的な傾向が気になる。
視聴者は気をもむだけ無駄、ということになるので
必要以上に物語が長引けば興味は次第にそがれていくかもしれない。


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でもとりあえずキャラ可愛いっすよね。
だからオールオッケーです。
アバターのデザインに感じる石ノ森臭も悪くない。



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2012春アニメ ZETMAN  

ZETMAN http://zetman.jp/index.html

ダブルヒロインにした意味はほぼ無かった。
このはと花子は同一人物でいい。

二人ともセルフィッシュで予測不能な行動を取るところが
スリリングで大変良いのですが、
このはに関しては失禁以外の見せ場がなく、
花子に関しては繰り返し親と距離を置こうとしていながら
家族を奪われ続けてきたジンと短期間で共鳴し合う過程が唐突過ぎる。

エンディングで社長に納まったコウガから青臭い理想主義臭が抜けないのは
彼が何一つ克服してないように見えるからなんですよ。
あれでは将来ジン灰谷はおろか掃除人やマスターと対峙しても負けそうな気がする。

で、コウガがその人生において真に克服するべきだったのは
仕事一筋で家庭に関心のない父親の存在ではなく
実妹へのこだわりではなかったかと思うわけです。
第03話におけるこのはの挑発的な言動はその伏線であったはずだと。

であるなら、コウガがぶっ殺すべきだったのは関係が曖昧な父母などではなく
当然ながら直接無関係な花子でもなく、
ずっと振り回され続けた妹のほうではなかったか。
妹への複雑な感情を克服することがコウガにとっての童貞卒業であり
それがジン覚醒のトリガーでも良かったかなと。

そういった意味で、このはと花子は合わせて一人の人物であったほうが
話はよりシンプルにまとまっただろうと思う。


あと、第08話などが最たるものですがアマギミツガイのクズっぷりが惚れ惚れしますね。
人と関わるな、女と別れろ、神崎に聞け、状況的には言ってることすべてが正しい。
情の一欠けらも見せない徹底ぶり。殴りてえ!と思わせる。これはすげえですよ。
このキャラクターに関しては飯塚昭三さんの演技が光ります。

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この作品はむさ苦しいオヤジキャラ頻出でそこは大変すばらしいのですが
女の子は全然可愛くないです。
やみくもに美少女に萌えさせろとは言わないですが
クリーチャーが出てくるようなヒーロー物である以上
美醜のコントラストは大事じゃないかな。
ましてや桂正和作品で女の子を可愛く描かないでどうすんだと。
まあ目が小さくて描きにくそうな絵柄ではありますが、
もう少し何とかなったのではないですかね。




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