大匙屋

健康第一

2011春アニメ 青の祓魔師  

青の祓魔師
http://www.ao-ex.com/

デビルマンin少年ジャンプ といった趣。
あまり難しく考えず見ていられる、無駄な忍耐力や記憶力を必要としない作り。

主題歌はどれもこれもウンコだがOP1のラストの作画が良かった。
たぶん渡部圭祐さんだと思う。光線の感じとかで。

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登場人物がそれぞれに抱える葛藤が人物像にちょっとした深みを与えている。
関係変化への順応や和解のプロセスも丁寧で、じっくり連帯感が築かれる過程の描写が良い。

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第07話、男の子同士のなにげない会話の中で
マイスターの称号の設定説明から各人の目標、弟ユキオの能力まで紹介し
その雰囲気を離れた位置から羨望とともに眺めるしえみの決意につなげるシークエンスは
流麗でとても美しい。原作通りなのかは知らないが、女性作家特有の視点かもしれないな。
合宿回でチャンスがありながら女風呂を覗きに行くベタな展開がないのも
女性作家だからだろうか。

この仲間たちとの学園生活は大変和やかで、作品の大きな魅力のひとつだが、
これが若干丁寧過ぎる?せいなのか、プロローグである1~2話のシリアスな展開は
前半シリーズの中でなんだか浮いて見える。
父の死後、燐が目標に取り組む姿勢には危機感や真摯さがあまり感じられない。
バッサリ切って学園編からスタートしたほうが良かったんじゃないかとさえ思う。


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途中から尻尾などまったく隠さなくなってしまっているのが笑えた。
こういう潔い開き直りは嫌いじゃないが、問題はあるような。


シリーズ全体を通しても、前半と後半の完成度の格差が著しい。
レギュラー紹介が終わった後、アマイモン戦前後までの展開は勢いもあって飽きさせないが、
後半20話以降、殊に第24話は演出がひど過ぎ、作戦内容や意図さえ明確に視聴者に
伝わらず、登場人物たちが何をしようとしてるのかも良くわからない。


後半に関してはキーパーソンの作りが雑であると思う。

まずエクソシストであるユリ・エギンがサタンに進んで身を捧げる合理的な理由がない。
ユリは周囲にいる様々な人の思いやその後の人生を狂わせる起点となるキャラであり、
前提として、客観的に見てひたすら気の毒な人でないと意味がない。

クロやウコバクといった無害な悪魔との共存志向は燐に継承されているにせよ、
ユリ的な理念を士郎も燐もユキオも受け継いでいないわけで、
このラディカルで進歩的なキャラ設定はさすがに唐突だろう。

ユリ以外では、エルンストが最初にユキオに接触し、本心を隠して利用し続けた意味が曖昧。
バチカンを一気に掌握できるくらいならユキオを優遇する特段の必要はない。
祖父と孫という関係を先に明確にしないとユキオが協力しない可能性はあるが、
そもそもユキオが協力しないことが、エルンストの計画に支障を来たしたかは疑問が残る。

一旦持ち上げておいて最終的に絶望に叩き落すなら、敢えて回りくどい方法を取る理由は
あって然るべきだろう。
エルンストは孫たちを愛していないが、愛していないだけなく、激しく憎悪する必要があり、
物語はそれをちゃんと縦軸に組み込むべきだったと思う。
ここの描写はやはり不足している。


ネイガウスを嵌めようとした黒幕や、人工生命の騒動は結局何だったのか、
宝君の正体は、など放り投げられた伏線も多い。

劇場版の公開が決まっているらしいので、謎を引っ張ろうとする商業的意図が
あるのかもしれない。




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フラクタル 終盤のフリュネの心理的変化について   

フラクタル
http://fractale-anime.com/

いやあ、とても面白かったです、フラクタル。
こう書くと「周りと違う俺カッコイイ」みたいに取られるかもですが
この作品に対する市場の評価はフェアなものではない、とさえ僕は思います。
少なくとも、それくらいには面白かった。まぁ、波長が合ったんでしょう。

「神」である最初の少女が父親から受けた虐待と同じ体験が
フリュネの鍵としての条件になっている、という絶望的なアイデアは
もう「えげつない」と言うしかないです。思いつきもしなかった。
この相似形が「フラクタル」ということなんですね。

で、とりあえず今回は、難解と思われた10-11話でのフリュネの心理について
整理と僕なりの解釈をしてみたいと。


■第10話 「僧院へ」
研究所を破壊された報復に、僧院はロスミレの拠点攻撃を開始する。
ロスミレ側も総攻撃を決定し、事態は全面戦争に突入する。
フリュネは黙ってクレインの元を離れ、祭祀長に直談判に向かいます。

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この時のフリュネの行動目的は「この戦いを止める」ことです。
ダナンの人々や、クレイン・ネッサを守りたい。
僧院には、抵抗する人々の声に耳を傾けてほしい。
フラクタルシステムが無くても、人は自分で生きていける。
この時点でのフリュネの言動は、ロスミレの主張に寄り添っています。

これに対し祭祀長は

 「フラクタルがなければ人は生きていけません」
 「フラクタルは定期的に再起動しないと維持できない」
 「鍵になる決意がないなら何しに戻って来たの?」



ここでフリュネは情に訴える作戦に出ます。

 「姉さまなら私の気持ちを理解してくれるはず。私たちは元は同じフリュネだったのだから」


フリュネとして同じ絶望や苦しみを、祭祀長も味わってきたはず。
もう、フラクタルやめましょうよ。私つらいんですよ。
これがフリュネの本音。

しかしこの作戦は裏目に出て、祭祀長はブチ切れます。

 「私と貴女が同じフリュネ?違う。貴女は世界の愛しい娘。私は世界に愛されなかった娘」
 「私は貴女が憎らしくて羨ましい」
 「しかし、愛する人などいなくとも私はこの世界を守ります」
 「人々は生まれて来た本当の喜びも知らず、大切なものを見つけることもできず、
 ゆるやかに死んでいく。私のように。これは世界への復讐。ざまあ」


簡単に言うと「リア充死ね」ということです。

フリュネと祭祀長とは、自分を取り巻く世界が大嫌いだったという点では一致しているのです。
互いに生まれてくるタイミングが違えば、二人はそっくり逆の立場だったかもしれない。

僧院の指導者として、人類の管理者として君臨してきた祭祀長。
恋も知らず、ヘンな帽子を被らされ、セクハラ親父のお守りをしつつ、
ただ与えられた使命に愚直に従って、人々の無限の欲望を満たし続けてきた。

自分の運命がイヤさに禁を犯して出奔し、男と出会い、遊び呆けていたフリュネの言葉が
これ以上祭祀長に届くはずがありません。

フリュネは説得を断念し、僧院に侵入してきたクレインの元に向かいます。
これで、ロスミレの主張を僧院が呑む形での停戦はなくなった。

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祭祀長は、戦火の拡大に伴い避難を促す婆巫女たちに、儀式の執行を宣言します。
この時祭祀長は、フリュネにもう選択肢が残されていないことを確信している。
フリュネが探しに行ったクレインのそばには、当然のようにネッサがいる。
そしてフリュネは、ネッサを見捨てられない。そのことを祭祀長は知っているわけです。


■第11話 「楽園」
クレインと合流したフリュネは、早期に立ち去るようクレインに伝えます。
ネッサが捕まればフラクタルが再起動させられる。
そうなれば、フリュネの地獄は数百年先まで続き、ロスミレの勝機も無くなります。

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フリュネがバローの身勝手な振る舞いや語りを制止しようとしないのは、
クレインがどうあってもフリュネを置いてその場を立ち去ろうとしなかったからです。
一番聞かれたくない話を一番聞かれたくない相手に聞かせてでも、
クレイン(とネッサ)を僧院から遠ざけたい。

この時点で、フリュネの最優先事項はネッサの安全確保です。
ネッサはフリュネにとって、自分がまだ清らかな体だったころの記憶。
自分の分身である美しいネッサに、ずっとクレインのそばにいて欲しい。
それだけがフリュネの救いなのです。


バローを殺害し、汚れたと感じるフリュネ。
自分はこれ以下はないと思うほど穢れてしまって、何の価値もない。
クレインにもすべての事実を知られてしまい、もう失うものも、守るものも何もない。
そんな絶望の淵にいる自分を、美しいと慰めてくれるネッサ。
そのネッサが、消えかかっていることを知る。

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ここに至って、
<ネッサを救いたい。そのためには「鍵」になってフラクタル再起動しかない>
という、僧院に乗り込んだ当初とは逆の行動目的がセットされます。

僧院、祭祀長の目的は元から現行世界の存続=フラクタル再起動のみ。

本編に描写はないですが、フリュネ(とネッサ)は祭祀長に、「鍵」になる条件として
クレインを殺さないよう請願したはずです。
だから神前とは言え、圧倒的有利な状況にありながら祭祀長はクレインを殺さない。
フリュネは安心してクレインから顔をそむけることができる。

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衛兵を遠ざけたことが、結果的に祭祀長の死を早めるわけですが。
しかし死を覚悟してなお「世界は渡さない」と祭祀長が言い切れるのは、
フリュネに対して約束が守られたことの証であります。




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フラクタル再起動に向かうフリュネ。

 「今こそ、大切な人たちを守ってあげたいの。こんな私は、まだ身勝手でしょうか」


ここで重大な疑問として浮かび上がるのが
「フラクタルを再起動することが、なぜ大切な人たちを守ることになるのか」です。
ロスミレの目的はフラクタルからの解放、再起動の阻止だった。
再起動すれば、彼らにもたらされるのは絶望ではないのか。

「今はとにかくネッサを守りたい」ということなら再起動の強行は理解できる。
しかし「大切な人<たち>を守りたい」というフリュネの言葉が意味するものは何か。


逆に考えれば、
フラクタルを再起動しないことが、大切な人たちを守れないことになるわけです。

スンダは男前で統率力もあり、悪党ではないが、彼には指導者としての人格、カリスマや素養が
ないことをフリュネは看破しています。
たとえばロスミレを扇動し束ねたのもディアスであり、スンダではない。
「鍵」であると知って拉致しておきながら、フリュネを殺さない脇の甘さ。
最終戦でフリュネたちを人質として利用しない、など
星祭では殺戮を強行しておきながら、スンダは非情に徹するということが意外にできない。
未来について仲間に語れない。世界をこうしたい、という強い意志や絶対的自信がないからです。
このことは、スンダの遺志を継ぐグラニッツ一家が呑気に農業をやっていることからも明白です。

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多数派を無視して一方的に体制を破壊し、祈りや宗教さえ人々から奪った以上、
新たな価値観を提示して世界を導く義務がロスミレにはある。
気に食わないからぶっ壊した、あとは勝手にやれ、では無責任の謗りは免れない。
畑を耕している場合ではないのです。
エンリは最後に「クレイン、どうしてるかな」とつぶやくけれど、
彼女は本来なら「世界の人はどうしてるかな」と考えるべきなのです。

ともあれ、バローが死に、目の前でディアスが祭祀長を殺害したため、僧院は存続自体が危うい。
そしてフリュネは、ロスミレにレジームチェンジ後の明確なビジョンが存在しないことを
見抜いています。
つまり祭祀長の言ったように、フラクタルが再起動しなければ、
待っているのはひどく不機嫌な世界。

フラクタルが再起動すれば、新たな分身が自分と同様の仕打ちを受ける可能性は残る。
それでも、歪んだ世界を受け止めて笑っていられる「ネッサの心」が残っていれば、
その時の自分はきっと耐えられる、とフリュネは踏んだわけです。


ここまでのフリュネの心理の動きをまとめると、


 ①祭祀長に直談判した時の優先事項は、即時停戦とフラクタル再起動阻止。
 ↓
 ②クレインと合流後
 無価値な自分の代わりに、美しいネッサにクレインのそばに居て欲しい。
 そのネッサを救うために、フラクタル再起動に転じる。
 ↓
 ③聖域にて
 クレインとネッサのおかげで、この世界が好きになれた。
 不機嫌な世界から仲間を守るために、やっぱりフラクタル再起動。


②→③の過程でディアスが祭祀長を殺害し、僧院が崩壊必至に。
すべてが終わったあと、やはりフラクタルシステムは開店休業状態となり、
世界はソフトランディング。新たな分身が、将来ひどい目に会う可能性もなくなった。

さまざまな条件と思惑が複雑に絡み合い、ひとつのハッピーエンドを形作るこの結末は
見事と言っていいんじゃないでしょうか。


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「フラクタル」で不満なのは、最初の飛び降りがまったく理解できないのと、
ネッサの序盤の笑顔のアップがあまり可愛くないことぐらいです。

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原案者と監督の場外バトルの話は伝え聞いていたので
どうやら脚本の仕上がりが全体の作業時間を圧迫したのは明白でしょう。

どんな良いスタッフを集めようと、時間が足りなければ作画は乱れます。
何とかかき集めることが出来た人材の力量に、コンテの出来も左右される。
作りたい絵ではなく、作れる絵が優先となってしまいます。
ヤマカンはよくやったのではないかと思いますよ。
少なくとも彼は、この作品に対する自分やスタッフの努力と作品の出来を卑下していない。
これは監督として大事なことです。








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2011冬アニメ お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!  

お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!
http://www.starchild.co.jp/special/oniichan/


兄にひたすら萌え続ける妹の話。

ダメ兄のダメっぷりに反応する妹の特殊な性癖を生かして
妹の兄いじりをスピーディに畳み掛ける展開かと思いきや
物語序盤で早々に幼馴染を投入し、三角関係をセットする。
この幼馴染・土浦イロハを使いきれていないのが惜しいというか、残念。

妹・ナオは家庭内で兄の欲望を管理し、その挙動を日々観察することで自己完結しており、
兄妹二人の関係はどちらかといえば膠着気味。
イロハとの三角関係も、恋愛成就におけるイベントのひとつと妹は理解している。
中盤に登場する近藤繭佳に対してもその認識は同様で、妹の対応はそれなりに余裕があり、
彼女は兄の卑屈さを最大限引き出してくれるので、そこは歓迎さえしている。


兄・修輔は、イロハへのすげない態度やエロ趣味の露見を怖れる素振りから
どう見ても妹に家族愛を越えた感情を持つようだが、しっかりと明言はしていない。
ここを敢えて明言しないのは作劇上の戦略と思われるが、
明言しないからといって、他所に転びそうな危うさが兄にあるかといえばそうでもない。

記号的で無駄のない絵柄は情欲を喚起せず、
井上麻里奈の声質には素直さとひたむきさ、透明感だけがあって
小悪魔的な可愛さは感じられても、打算や狡猾さのイメージはない。

幼馴染で貧乳美少女、その行動は状況により積極的だが、
基本は外野の位置から嫉妬するだけで逆襲らしい逆襲もしない。
イロハの行動目的は修輔と恋人関係になることだが、切れるカードが何もないため
彼女にとって有利な展開になるケースがない。

つまり「兄と妹の関係」があまりに磐石過ぎて、イロハも近藤繭佳も
兄妹にとって本質的な脅威とならない。
妹は激しい嫉妬の炎に焼かれることもなく、起こる事態が悪化の一途を辿らない。
これが物語のブレーキとなっているように見える。


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2011冬アニメ フリージング  

フリージング
http://freezing.tv/index.html

同期だとISもそうだが、学園バトル物において、最終戦で学生を前線に動員するという
作戦の整合性がなおざりにされている作品は案外多い。
その点この作品での、イースト校を先に攻撃させ主力を救援に向かわせた上で
残存兵力でウエスト校を守らざるを得ないという状況設定には強い説得力がある。

終始尊大なキャラに描かれるガネッサが、フランクな性格のラナに足手まといと揶揄され
それを伏線に自己犠牲的な行動に走る流れはとても良い。
口から出る言葉は一貫して尊大なままなのに、サテラとの関係性だけが変容しているのも
微妙で見えにくい互いの変化や成長を表現するのに一役買っている。
ラナによるしおらしいフォローが一切ないのも逆に良かった。

これに続く対キャシー戦のサテラの鬼神のような狂乱ぶりは見ごたえがある。
アクション演出は高水準とは言いにくいが、圧倒的な迫力だけは特筆に値する。
人によっては残酷過ぎて目を覆うレベル。よくここまでやったと思う。


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主役の戦闘服がロングスカートだが、この佇まいには艶がない。
とくに後ろ姿。色使いや長い髪、得物とのバランスのせいかシルエットも良くない。

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これではおばはんである。
作中にて繰り返されるカズハのモノローグに「この背中の向こうに云々」とあり、
聖痕の設定などもあって、この作品に限っては背中が特別な意味を持つ。
そういう意味でも背面を見せる絵作りにはもっと徹底的にこだわるべきだっただろう。

ロングスカートの戦闘服自体はそう珍しいものではないはずだが
髪型やポージング、アングルなどに工夫が必要なのかもしれない。

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序盤のサテラは対人拒絶モードとデレモードのギャップを埋める要素が欠落しており
どういう人格なのかがつかみ難い。
ラナはサテラを挑発しに行くキャラなので、ラナの登場以前までに
サテラとカズヤが多少なりと関係を深め合うイベントやデート回など、
サテラの素顔が見えて、親しみを抱かせる描写なりエピソードが必要だろう。

また、サテラに関しては過去のトラウマ設定だけでは
その行動目的や最強となった経緯が説明しきれていない。
パンツを脱がされる前に何故パンドラモードを発動しないのか、など
よくわからない矛盾点もあった。
カズヤに触れられたあと、忌まわしい記憶の絵を見せておいて
「あの忌まわしい記憶がよみがえらなかった」とつぶやかせるなど
演出が何をしたいのかわからない。


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軍隊に準じた上下関係を重んじる学校なので
目上の人物に対し手を後ろに組む姿勢はアリだと思う。

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キャシー・ロックハートを前にしたカズヤのこの姿勢も単なる癖として看過できる。
しかし縦社会を強調しておきながら一番左・ミレーナのこの姿勢は
仮にもウエストの校長を前にしては不敬と言わざるを得ない。
確認したところ原作には無いシーンらしいので
演出がアンポンタンなのだろう。
礼儀作法をわきまえないことが問題なのではない。
礼儀作法をわきまえないキャラと認知させること自体が問題だ。


その他
これは書くべきことではないかもしれないが、正直なところ他の大半は楽しめたのだが
「キム」だの「ユジン」だのと、必要以上に朝鮮名が出てくると妙にイライラする。
そういう意味では僕に向いてない作品だったかもしれない。



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2011冬アニメ 夢喰いメリー  

夢喰いメリー
http://www.tbs.co.jp/anime/yumekui/index-j.html

序盤は、迷子のメリーが夢の世界に帰るために夢魔を探して倒す話。
中盤は「そもそも帰れるのか?」の話。ここでちょっと停滞。
終盤は、夢魔に取り憑かれたイサナを救う話に転換。

まずメリーの「帰りたい」という願望が日常感覚に照らしてシンパシーを呼ばない。
このため、序盤の展開はかなりタルい。

「夢の世界に帰りたい。帰るためには敵を倒す」
「敵を倒すと取り付かれた人間に影響を及ぼすので倒せない」
このアンチノミーがうまく成立してない気がする。
そのせいで中盤における各人の苦悩もあまり機能してない。

そもそもなんで夢魔を倒すのだろう? 帰る方法を探してるんじゃないの?
狂言回しであるジョン・ドゥと再接触した時点で、帰る方法の有無を聞かないの?
星野部長はクリスを剥がされても無事だったんじゃないの?


メリーに対し、ユメジが粉骨砕身で協力する動機も弱い。
OPにて幼少時代の二人の姿を表現したイメージが複数カットあり
第01話でもジョン・ドゥの前でメリーが名乗りを挙げた瞬間にユメジが何かを強く感じた、
これらのことが最終的に放置されたのは構成上の不備と言うしかないだろう。

物語は、たとえ閉塞しきった深刻な状況(=夢も希望もない)でも
「絶対に諦めない」という選択をする「思いの強さ」を表現したかったはずだ。
では、どうしてユメジは絶対に諦めないのか?
なぜそこまで執着があるのか。
それは本来なら、幼馴染設定があるせいじゃなかったのだろうか。

夢での強さが思いの強さであるなら、ジュカイやオニギリ先生にも強い思いがあるはずで。
その説明はないにせよ、ユメジが覚醒しメリーがジュカイを凌駕するのなら
その「思い」を裏付けるものは当然必要なはずだ。
そこを省くから、ただの気合で何でも乗り越える話で終わってしまう。
ここは一番大事なところだろう。

山内重保はボケたんじゃないかと思う。



category: アニメ

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