大匙屋

健康第一

2011冬アニメ インフィニット・ストラトス  

インフィニット・ストラトス
http://www.tbs.co.jp/anime/is/index-j.html

学園ハーレムコメディにSFロボット要素を取り入れた
あまり深く考えずにリラックスして楽しめる、愛すべきバカアニメといった雰囲気。
見ていてとても楽しかった。放浪息子の次に見たのが良かったと思う。

ほぼすべてイベントが主人公の周囲のみで起こるが、原作が一人称小説なのか?

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落ちにこういうアナクロなコケを持ってくるアニメを久しぶりに見た。
これならシャルの再転入の際もクラス全員で盛大にコケて流せばよかったと思うが
そのへんは演出の好みの問題か。


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上の画像だと2枚目の表情から手描きではないように見える。
キャラの表情までCGモデルで作って、カットの途中で手描きと繋げるのは
手間も余分に掛かるだろうし、頑張ってると思う。
これ、全編手描きでやるよりは効率的なんだろうか?

戦闘シーンをCG化するのはもう仕方がない事なのだろうが
多くの戦闘は雲の背動や動きの速さで誤魔化してるレベル。
この作品の引きの絵はCG臭く、妙に浮いて見える。

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この問題は、近年かなり解決に近づいていたと思っていたんだけれど。
たとえばスカイガールズの頃と何が違うんだろう?

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スカイガールズ#08 これはそんなに違和感ない

ISの場合、HD化のせいで細かい実線まではっきりくっきり見えてしまうのが
浮きの原因だろうか。
尺が正確過ぎて、ただ絵を縮小して貼り付けたように見えてしまう。
線や色などの情報量を落とせば解決するのかもしれないが
その程度は当然作り手も考えつくだろうし、他に事情があるのだろう。



第12話 「君の名は」
一夏が戦場に駆けつけて、倒れている箒にプレゼントのリボンを渡すシーン。

38_201112071003_20_38_11.jpg

やりたい事はよくわかるし、とても良いシーンのはずなのだが、
ツメが尖ってるのでギャグに見える。
ISは一瞬で展開できるのだから、一時起動解除すればいいだろうに。
そのリボン、ポケットから出したの?
・・・と思ったら、箒も普通にツメでリボンを結んでいた。

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ここに関してはバカアニメというよりバカが作ったアニメである。


ハーレムに関しては、セシリア/ラウラが一夏に恋をする過程が雑過ぎる。
尺の問題を考慮しても、もう少しなんとかできたはず。
セシリアは鈴との戦闘前にケージにいることすら違和感がある。
ラウラに関しては一夏を憎む理由が曖昧で、二人の対決に宿命性を感じない。
・・・が、視聴者には難なく受け入れられてるみたいなので
今はそういう過程を気にする人は少ないのかもしれないな。

まぁ逆に、突っ込みどころが満載であることも
ネット時代の観客に愛される重要な要素なのだろうけど。




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2011冬アニメ 放浪息子(2)  

放浪息子
http://www.houroumusuko.jp/

どうも前回の分、途中で送信してしまったようなので補足。
放浪息子について下書きしてたら二万字を越えた。ので、だいぶ割愛。
我ながら少しきもい。


高槻くんについてである。

以下、「男の子になりたい高槻さん」の物語が終わる瞬間。
ここでも、名もない端役がいい働きをする。
第10話



台詞「バッカヤロー高槻/
ヤマピー超いい奴なのに何振ってんだよ。てめえ。/
高槻のバーカ。ブース。男」


直前のシーンで「ヤマピー」と呼ばれた少年が高槻に告白する。
高槻は男装で登校したけれど、前よりモテてしまった。
男の子になりたかったはずなのに、余計に女の子として見られるようになった。

告白だけであるなら、高槻に恋するヤマピーが変わり者なのかもしれない。
しかし、ヤマピーの友人である「彼」が高槻を面罵することで、
自分を含め周囲の人間が、高槻を「魅力的な女子」として見ている事実を補強する。
彼は高槻が、親友の恋するに足る「女性」である点を否定しないからだ。

この二人によって高槻は自分の中の女性性を強く意識する。
しかもそのことを内心喜んで、舞い上がっている自分に気づかされる。
高槻は、男装した結果として逆に女性化することになる。


「ニトリ君、堂々としてた」「ニトリ君はすごいな」「ニトリ君、やるなあ」
この一連の高槻の台詞には
男装のためにどこか肩肘張って頑張っていた自分とは違い、
ニトリがしたいように行動した結果、周囲から一旦は拒絶されながら、
文化祭の準備を通し、自然体のまま少しずつ周囲に受け入れられていく過程が
高槻のケースとは真逆であることへの羨望が込められる。

そして最終話において――
高槻はサオリから「高槻さんらしい」という評価を得る。
力が入り過ぎていることも、互いに意見が一致しないことも
サオリは高槻らしさとして受け入れると表明した。
初めてサオリから存在を全肯定され、高槻は積年の呪縛から放たれるわけだ。


いや、これは良作じゃないか。
アニメ好きにとってこの作品の誕生はまさに僥倖である。

気になる点を挙げるとすれば
演劇部に入部した設定が活かされなかったことと
1クールのシリーズに文化祭だけが二回もある構成がさすがに不自然かなと。それくらい。
あと、「放浪息子」っていうタイトルがダメだな。内容をうまく表していない。



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2011冬アニメ 放浪息子  

放浪息子
http://www.houroumusuko.jp/


まず端役のキャラたちの働きが異常に良い。
各人に与えられた役割はそれぞれシンプルなものだが
バトンを継ぐように主人公たちに関わり、ともに物語を紡いでいく。

マコちゃん
序盤において、より切実な立場でニトリと関わることで
ニトリに対するホモフォビア的嫌悪感を剥離する装置として機能
各登場人物の評価役

白井モモコ
嫉妬深く煩わしい存在としてちーちゃんにまとわりつき
ちーちゃん自身の持つ煩わしさを相対的に減衰させる機能を持つ
CV豊崎愛生がよい仕事をする

二宮文弥
超然とした言動によりサオリの寛容な一面を表す記号として存在
(サオリは彼を冷遇しているが拒絶まではしていない)
05話では物語にユニークなブレイクスルーをもたらす

税所学
当たらず障らずの無能として描かれつつ
僭越で予測不可能な判断力がカオスな展開を生み出す

etc


最も完成度が高いエピソードは第04話「私の名前をあげる」
これは千葉サオリの主人公回。
端役たちが次々と首を突っ込んでサオリのロマンスが邪魔され、
物語は彼女の希望と真逆の方向へと転がり落ちていく。
サオリの表情は外からの影響でくるくると変えられ、
彼女の苦悩は痛いほど伝わってくる。

このエピソードの出来自体は素晴らしいものだが、
シリーズを通して理解できなかった唯一のシーンもこの第04話にあった。




ニトリ家にて、マコトに未練を指摘されたあと
サオリがニトリを追求するシーン。

ここでサオリがニトリに絡んでいく理由がよくわからない。
感情が制御できない原因はニトリの存在にあるのであって
それをニトリ本人にぶつけるほどサオリは愚かではないはずだ。
マコトを意識外に追いやって、ニトリにデレることもできたはずなのだ。

税所に対する不満がニトリとの間で共有されていないことや、
ニトリだけに見せたつもりの弱さや素直さを、軽々にマコトに相談された苛立ち。
過去にとらわれ続け、身動きが取れない自分の姿をニトリに重ね合わせる。
そういう雑多な感情が一気にあふれ出したもの、と推測できなくはない。

しかし行動の結果としてやはり相手は困惑し、離れていく。
シリーズを通して見た時に、サオリの恋はどこでしくじったのかと考えると
思い当たる節はこのシーンに帰結するように思う。

まぁでも、若年期の恋心なんてこういうものとも言える。
誰だって自分を変えるのは嫌だし、面倒だし、ありのままを見て欲しいなどと
言い訳しながら自己の存在を押しつけようとする。
自重するとか愛されるよう努力するとか、自分を変えるなんてのは
もう少し小ざかしく成長してからの話なのかもしれない。
そもそも、守りたい自分自身すら固まっていない年齢であるのだから。

結局のところ、一見クールで知的で大人びて見えるサオリが
実は一番子供染みているということになる。
第04話終盤にて味方不在の状況となり、とうとう「神頼み」に至るシーンにも
それがうかがえる。


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