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健康第一

菅野よう子パクリ問題について僕が思うこと  

僕は80年代後半に佐野元春に心酔していたことがある。
今でもデビューから「Cafe Bohemia」までの楽曲はソラで歌える。
これだけでピンと来る人も多いだろうが、
やはり僕もポール・ウエラー/スタイル・カウンシル作品との出会いによって
佐野元春の音楽に失望し、それを聞くのを完全にやめた。

少年の頃は「彼こそオリジナルだ」と信じて疑わなかったが
結局のところ佐野は商業主義が生み出した「ロックスターを演じる人」であり
そのこと自体の是非を問う必要などまったくないが
より高次の存在に同一化して陶酔したい少年期に傾倒することはあっても
人生をともに歩みたいと希(こいねが)うほどの絶対的カリスマではなかった。
それは現在の邦楽シーンにおける佐野の中途半端な立ち位置を俯瞰すれば
多くの人にとって同様の周知的事実であると認識できるはずだ。

その後僕は90年代のデトロイト・テクノの突発的な誕生を目の当たりにし
アシッド・リヴァイバルを経験してハウス音楽を受け入れていったが
より商業的で下世話なダンスミュージックをすんなり受容できた原因は
自分の中で佐野というロックスターをある意味で打倒してきたことが
経験として活かされたからだと思う。
(ちなみにこの分野には「リスペクト」という愛国無罪みたいな
パクリの免罪符があるんだけどね)


こうした経験を踏まえたうえで菅野よう子に関する一連の騒動を見ると
口幅ったいのだが、なんだかとてもカワイイものに見える。

シロかクロかで言えば菅野は単純に真っ黒で
SACなどの劇伴を聞いていても、ああ完全にビョークやねと苦笑してしまう。
そして、こういった状態に感情的にならざるをえない若いリスナーがいることも
充分に理解できる。

憶測だが菅野にしろ前述の佐野元春にしろ、基本的に悪気はなく天然で
仕事柄あまりに雑多な音楽を軽薄なまでに聴きかじっているがゆえに
自分の作品と他人の作品の区別が論理的かつ明確についておらず、
さらに不幸なことに頭の中にふと浮かんだイカしたフレーズを
その場でサクっと表現する技術的環境と演奏力を持っているせいで
こうした事態が起こるのではないかと思う。

そのこと自体はたいした問題ではない。
もちろんパクリや盗用は社会的に許されることではないが
少なくともこうした事実に腹を立て糾弾しようとする動きがネット上に
存在するということが、状況の健全性を物語っている。

問題はこうしたいい加減な仕事をしている人に
良くも悪くも仕事の依頼が集中しているという業界の体質にあると思う。
アニメでは作画や演出においては若手が徐々に台頭してはいるが
劇伴に関して抜擢といえるような新人音楽家の登場はほとんどない。
制作プロデューサーは音楽・菅野よう子でプラス千枚とそろばんを弾き
サイトや番宣にでかでかとその名を掲載する。

音楽以外でも似たようなものだ。
もはやロートルでしかない大御所・出崎統の名を用いなければ
劇場版長編作品の制作費が集められなかったり、
宮崎がダメなら息子にやらせろと勘違いの抜擢人事に奔走する馬鹿もいる。
エロと萌えだけの薄っぺらな作品を量産して評判が取れないと、
DVDでは乳首を描きますという間抜けな商法がなかば平然と罷り通る。

要するに分野のスペシャリストを1から育てていこうという意識がない。
唯一例外は前回記事にしたボンズ/南雅彦Pくらいのものだ。
少なくともこうした前向きな努力に対しては、作品の出来とはまた別に
まっとうな評価を与え、光を当てていくべきだろう。
そしていい加減な仕事に関しては積極的に厳しい目を向けるべきだ。

クリエイティブな現場に権威主義など必要ない。
まずそのことを自覚すべきなのは観客の側であると思う。
しょうもないものはどんどん切って捨て
新しい才能の台頭を促す雰囲気を作っていくほうがいい。
ネームバリューは参考程度にする分にはいいが
一度権威に依存するようになったら
抜け出すのに身を切る努力が必要で時間もかかる。

僕には、菅野よう子バッシングはカリスマへの帰依を放棄し
自分の足で立って歩こうとする人たちの悲痛の叫びに見える。


【菅野よう子】インスパイア?類似曲比較動画まとめ











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category: アニメ

2007年度作品について僕が思うこと(2)  

前回のエントリーで2007年度を代表する作品として2作品を挙げたが
今回はあえて商業的な実績への評価を別にして
2007年度を語る上で外すことのできない、いくつかの重要な作品について
簡単にではあるが触れておきたい。


精霊の守り人 http://www.moribito.com/

前評判ではグレンラガンと並ぶ2007年度最大の話題作だったが
結果としては大きく明暗を分けることになった。
神山健治監督は攻殻SAC後、押井守の影響と呪縛を離れて
実質的に初めてその手腕に正当な評価が下される作品だったはずだが
残念ながら実力を出し切れずに終ってしまった感が否めない。

監督の生真面目な性質が災いしたと見るべきか、
どうも登場人物が全員同じような性格で同じ方向を向いており
何度見返しても作劇に関して窮屈な印象が強く残る。
ミルコ・クロコップの試合と同じようなもんで
あまりにも真面目で必死すぎるのがつまらないのだと思う。
人の生き様を描こうとするなら人間関係における「アソビ」の部分は必須であり、
息をつく場所、真剣に道化を演じる「うっかり八兵衛」の存在が欠けている。
各キャラクターの隠された魅力を上手に引き出せるキャラクターがいないのだ。
とくに非常に精緻な絵柄のため、視聴者はその圧倒的な情報量に目を奪われるので
メリハリのない高密度の背景や3Dレイアウトに悪酔いしてしまう部分も大きい。
この作画レベルでこそ、もっとバカな部分を盛り込むべきだったのではないだろうか。
簡単に言ってしまえば「トーヤ」をもっと活用するべきだったと思う。

神山氏は事前の番宣などで作品制作にあたって「対話を重視」と再三口にしていたが
年齢の近いスタッフ同士で和気藹々で作っているように見えた。
僕が思うだけかもしれないが、多分ああいった和やかな雰囲気から
本当に凄いものは生まれてこないと思う。
むろんTVに映ることがすべてではない、とは思うのだが
彼はもっと年配の脚本家やベテラン演出家と組むなりして
まったく違う才能により多く触れる機会を持ったほうがいいような気がする。

守り人と直接関係ないが「Solid State Society」最終盤において
バトーが素子の肩を抱くシーンがあるのだが、
僕はあのシーンを見て
「神山は一体何を癒されようとしているのか」と激しい違和感を感じた。
ひょっとしたら氏は働きすぎで疲れがたまっているのかもしれない。




ヒロイック・エイジ http://www.xebec-inc.co.jp/anime/heroicage/

「蒼穹のファフナー」スタッフの再集結、そして気鋭の語り部・冲方丁待望の新作は
今時珍しい、気恥ずかしいほど王道のスペースオペラだったわけだが
お姫様が宇宙空間でアストラル体となって
勝利の女神のように宇宙船を先導する絵図が意外なほど斬新で、
伝説の英雄を連れ帰る前半と、英雄を得て暴走する人類、それを看過できず
立ち上がる姫様、異星人との対話と戦局の打開、そしてクライマックスへと至る展開は
めまぐるしい状況の激変にも関わらず破綻がなく見事なまでに纏め上げられており、
どうとでも取れるような曖昧な終局に陥る中途半端な作品が少なくない中
異彩を放つほど爽快な大団円を見せてくれた。

とくに最終シーンの荘厳なまでの美しさは、
演出面においても美術面においても、2007年度作品はもとより
日本アニメ史上屈指の水準と断言して差し支えないと思う。
未見の方は是非その目で確認していただきたい。

CVの石川由依の声には若干17歳とは思えないほど独特な胆力があり、
物語上で姫様の背負わされる宿命はどんどん重いものになっていくのだが、
進行に従って石川の演技力も上がっていくという偶然の所産にも救われた。
難を言えば英雄の種族同士の殴り合い描写がきわめて単調であるのと、
SEED DESTINY以降の平井久司のキャラデザインを苦手とする人が
案外多いのが、この作品にとって不運だったといえるかもしれない。

残念ながら現状DVD売り上げは採算ラインを大きく下回っており、
冲方丁の次回作はまた時を待たねばならないだろう。



鋼鉄神ジーグ http://jeeg.tv/ 
地球へ… http://www.terra-e.com/

リメイクブームというわけでもないとは思うが
30代の取り込みを意識した企画自体は間違いでは無いはずだった。
しかしどちらも企画として成功を修めるには至らなかった。

90年代以降のゲッターロボOVAシリーズなどにも言えることだが、
広義での永井豪テイストをオカルティズムや捉えどころのないスピリチュアルなものと
親和的に表現するのは製作者の勘違いではないかと僕は思う。
もちろんそういった要素の採用も間違いではないのだが、
ガンダム以前、かつてのスーパーロボットというのは当時の少年達にとって
最先端の科学の結晶であり、もっとも洗練された未来テクノロジーの象徴だったはずだ。
現代においてそれをリメイクするのであれば、その「超未来的」というメージを外しては
本末転倒になる気がする。
要求されているのは間違いなく、「レトロ」のない「フューチャー」である。
そこを間違えなかったのは唯一、庵野秀明の「Re:キューティーハニー」が好例だが、
どうも現代の作り手の多くは、ビッグネームへの過剰なリスペクトの為せる業か、
「旧作のテイスト」を必要以上に意識し、結果として失敗していると思う。

「地球へ…」はもともと1970年代後半
高度経済成長期が終了し環境問題が社会的な関心を集めていた時代、
豊かになった日本人が、駆け足の成長に区切りをつけ、
徐々にではあるが将来のありようを意識し始めた頃
国家体制への抵抗や母星への回帰といったテーマに
大衆が共鳴して大ヒットした作品である。
この作品の根底にある精神は純然たる社会主義、あるいはリベラリズムであり、
保守精神が主流となっている長期不況下の現代社会とは微妙にマッチしない。
これをリメイクするなら、たとえば原作者の竹宮恵子完全監修前提で
ジョミーではなくキース・アニアンを独立した主人公に据えるなど、
現代社会にシンパシーを得られるような大胆なアレンジが必要だったと思うのだが
素直というか愚直に原作準拠でやってしまったのが敗因ではないだろうか。



撲殺天使ドクロちゃん2(セカンド) http://www.bin-kan.com/index.html

一般的に前作人気を受けて作られる続編の類は
大抵の場合前作ファンを落胆させて終わることが多いが
この作品は、うまいこと前作の高いテンションを維持できていると思う。
ギャグアニメで、続編も引き続き面白いというのは結構稀なんじゃないだろうか。

ハイテンポな掛け合いと畳み掛けるようなギャグの連打、そして絶妙な間、
連想とデフォルメを主軸とした良質な話芸、たとえば名人芸としての上方漫才や
往年の「マカロニほうれん荘」を彷彿とさせる緩急自在な「笑い」の構築。
これらは無気力とニヒリズムが蔓延する現代においても
やり方次第で質の高いギャグアニメが成立するという証明となった。

こういった要素は監督・脚本の水島努と編集の西山茂&坪根健太郎、
それから主演CVの高木礼子と千葉紗子の技量に負うところが大きいが
新作においてやはり出色のクオリティなのは山本寛演出による第03話だろう。

山本寛に関しては、もうその溢れ出る才能に脱帽するしかない。
京都アニメHPにおける「監督としてその域に達していない」という前代未聞の発表で
「らき☆すた」の監督職を更迭されたことで2007年にも大きな話題を振りまいたが、
今になって思えば、京アニとしてヤマカンが辞めやすくする配慮だったのかとも思う。
その舌鋒によって鼻を欠く退職となったことはおそらく事実だろうが、
自社Ordet設立にあたり、頭を下げて仕事を取ることを覚えることで
逆に彼自身の「非常に良い部分」が損なわれてしまわないかが気にかかる。
いずれにせよここ1~2年が彼にとって本気の正念場だろう。
是非すごいものを見せてほしい。


category: アニメ

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2007年度作品について僕が思うこと(1)  

2007年度は「作画崩壊」と「放送自粛」の年だった。

低予算と制作スケジュールの前倒しによる粗製濫造で
作画品質の極端な低下がいたるところで起こり、
間の悪いことに地上波デジタル放送の本格的開始によって
視聴者による品質の判定がよりシビアになり、
それが発達したネットコミュニティによって
さらなる吟味と情報の錯綜を招き、
結果として放送後DVD化され発売された作品は
売れるものと売れないものの二極化が鮮明になった。
また、あらゆる意味において表現の過激化が進行し
作品によって放送局が放送を控える風潮も顕著になってきた。
今年に限ってはこれをひとつの話題性として商業利用できた部分もあるが
そんなことが将来的にも可能とは思えない。
派手な内容で一時的な興味を引くことはできても、
そういった作品は最終的に大衆からはそっぽを向かれることになる気がする。


そんな2007年の日本アニメを象徴する作品は
「魔法少女リリカルなのはStrikerS」「らき☆すた」
の2作品であると思う。

前者はある種の就職ドラマであり、また非常にわかりやすい勧善懲悪物であり、
チームを主体とするカタログ的な青春群像劇である。
ニコニコ動画にアップされて大量視聴され、コアなアニメマニアから
比較的ライトな視聴者層まで巻き込んで
「大勢でワイワイ見ながら楽しむアニメ」として絶大な支持を得た。
もともと長期シリーズであり、設定の整合性に難のある部分も多々あるし
作画レベルも極端にひどいものだったが
逆にそういった要素もネット上でネタ化され話題の一部となり、
「作品について語り合える部分」を数多く提供できた点が
一歩抜きん出た本質的な理由であるように思う。

違法アップロードなどの問題もありネット上での視聴形態には
議論の余地がまだまだあるが、
ビジネススタイルとしてひとつの新しい可能性を体現した作品かもしれない。
主役級を演じた斎藤千和という声優は絶叫させたら天下一品で、
彼女もこの作品で完全にステップアップした。
http://www.nanoha.com/


後者「らき☆すた」に関しては、正直言うとよくわからない。
全26話を2話ずつ収録したDVDは全13巻、一話単価3000円超えと比較的高価だが
現在10巻目で累計30万本を超える勢いで売れ続けているそうだ。
同じ京都アニメ制作による「涼宮ハルヒ」の出荷合計が35万本というから
このままいけば「らき☆すた」はその売り上げを軽く超えるだろう。
関連グッズやCDなども軒並み売れ続けているらしい。
「そこまで凄い作品だろうか?」と思う人は案外多いのではないだろうか?
この作品の何がそこまで人を惹きつけるのかという部分が
今だに僕にはうまく分析できていないのだが、おそらく「見る人を選ばない」
という「気楽さ」が最大の魅力ではないかと思う。
ハードなSFでもなく、アクションや萌え志向でもなく、性的な表現もないが
「深夜になんとなくでもアニメを見るような人」ならば
一切の準備も必要なしに受け入れてくれる寛容さ、安心感がこの作品にはある。
1話や2話抜かしても話がわからなくなるようなシリーズ物ではないし
サザエさん的な「ながら視聴」も可能であり、そうかと思えば
コアなオタクにも訴求力のあるサブカルネタが満載で、
ありとあらゆる視聴スタイルに柔軟に対応できるのが強みだろう。
いろんなタイプの人が見るから、いろんな人が買う。
図式としては単純明快だが、これができるアニメはそう多くない。
http://www.lucky-ch.com/


2007年、かの「エヴァンゲリオン」までもがリメイクされ
しかもそれが意外にもそれなりのヒットを記録している、ということは
実際エヴァンゲリオンを過去の遺物として忘却の彼方に連れ去るほどの
インパクトを提供できた作品が、今年も存在しなかったということだと思う。

「リリカルなのはStS」と「らき☆すた」という両者から見えてくるのは
「見る者に覚悟を強いるような作品はいまは受けない」という事実である。
ヘヴィで鬱な展開や、めんどうな伏線回収、複雑怪奇な設定、
そういった作品は2007年度にも数多く作られはしたが
商業的には軒並みコケている。
もちろん商業的な失敗が作品的な失敗と同義であるはずもないが、
商業的な成功作品をわざわざ「作品的失敗作」と評する向きもない。

SFを作ればSFファンはそれを吟味・選別するし
萌えアニメを作れば潰しあいになる。
ロボットアニメはロボット好きしか見ないし
鬱アニメや爽快感のないアニメは途中で投げ出す人が出てくる。

基本的な構造はわかりやすく、精神的ストレスを与えず、爽快で、
より多くの人が安心して視聴できる、見る者を選ばない作品。
いまのような粗製濫造の時代に売れるのは、
結局そういう、エンタの原点に立ち返ったようなシンプルな作品なのかもしれない。



category: アニメ

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