大匙屋

健康第一

スクールデイズ最終話について僕が思うこと  

わりと真面目に全12話見たつもりだが
正直な感想としては今いちな作品だった。

惨劇のバッドエンドを迎えることは事前に話題になっていたし
文化祭前までの、主人公の軸足が徐々にぶれていくあたりまでは
人物描写も丁寧で、微妙で繊細な心理が揺れ動く表現が非常に良かったが
裏切り、嘘、保身を繰り返し唐突に外道と化していく主人公の
心理に内在する悪意や葛藤、深淵に潜む狂気がほとんど感じられないため
この男に振り回される女達がひたすら滑稽に見える。
何をどうしたいのかという明確な意思なり思想のようなものが見えてこず
ただ欲望のおもむくまま刹那的に行動する人々という印象しか残らない。
むしろそういうことなのだと言う人もいるのかもしれないが
それだと前半のやや冗長なまでに描かれた「学園生活」の意味が消失する。

要するに何の切欠で理性のタガが外れたのかが明確でない。
そこに「誠の狂気」が見えてこないので
世界や言葉の狂気も今ひとつ呼応しない。
ただ「若者がキレて無茶をした」という話で
あっさりと終わってしまっているように見える。

創作物に触れるとき、本当に面白いのは作家の狂気の部分だ。
普通の人間が普通に作ったり書いたりしたものが何一つ面白くないのは
昨今ネットにあふれるきわめて「普通な」個人ブログを読んでいればすぐわかる。
一見普通の高校生に見える3人の
どこに「普通でない」狂気が潜んでいるのか。
見る側の興味はそこにこそ集中するのであり
それがあるからこそ、前半の「あまりにも日常的な」学園風景が
後半の普通でない展開を予感させ得るものであったはずだ。


若者の行動原理は基本的に打算と等価交換である。
世界が誠を殺すことで、それに見合う見返りを得るということがないのだ。
言葉が世界を殺す理由はまだ理解できるが
世界が誠を殺す明確で合理的な理由がない。
誠を殺すことでは、抱え込んだ問題が何一つ解決しない。
これは復讐ですらない。ただキレて殺しただけ、ということになる。

なぜこうなったのかといえば
「スクールデイズはバッドエンド」という大前提に
制作側が抗う意志を一切持たなかったからだ。
ならばあらゆる瑣末なストーリーはバッドエンドの落差の演出のために
準備されたものであるべきだが、
このバッドエンドには「意味」が用意されていない。
いまの若い奴は切れたらこんな無茶するだろ、とでも言いたげな姿勢。
そこには創作にあたり、何一つ果敢な挑戦は存在しない。
結局は人間をなめている。

「そもそもなぜバッドエンドでなければならないのか」という問いかけにさえ
制作側は真摯な態度を最後まで取らなかった。
こんなものはアートですらない。

本来半年後には忘れ去られることになる作品だったろうが、
たまたま無関係な現実の事件と最終回の放送時期が重なり
多少いびつではあるが人の記憶には残ることになろう。

娯楽作品としては、倫理的にかなりの領域に踏み込んだクライマックスの描写が
今後のアニメ作品にどのような影響を与えるかは今の時点では未知数だが
日本のアニメはまた一歩、表現の振幅を手に入れたと言えるのかもしれない。
局の判断による放送自粛という、前代未聞の唾棄すべき前例の成立と引き換えに。


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category: アニメ

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