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健康第一

追悼記事 増尾昭一さん  

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過日。増尾昭一さんの急な訃報は、比較的大きな扱いにて各メディアに取り上げられた。増尾さんが積み上げてこられたキャリアは控えめに言ってもこの処遇にかなうものだが、大作の監督でもなく、一般に知名度も高くない一人のアニメーターとしては異例の扱いといって差し支えないだろう。今更ながらエヴァンゲリオンという作品のネームバリューに驚かされる。

ただ少なくないサイトが訃報に貞本さんのエヴァ版権絵を引用していたのは残念だった。よほどコアなアニメファン作画ファンでもない限り、みんな増尾さんの仕事内容がよくわからないのだ。それは溢れかえるような追悼TWとともに、イアキ氏作成の増尾MADが繰り返し引用/転載され続けたことからも窺える。


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■「特技監督」とは何か

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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (2007)


「ヱヴァンゲリヲン新劇場版 : 序 全記録全集」内の増尾インタビューによれば、増尾さんの担当仕事は

(1)マッキー特効やコピック特効などアナログ時代の小技のデジタル置き換え等から作業スタート
(2)背景などで庵野のイメージする画や欲しがる画に必要な工程をパターン化
(3)2D関係のエフェクト (アナログとデジタルの橋渡しのような中間的作業)
(4)特効、上がってきた画に加える効果、2Dと3D両方で

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言うても爆発の増尾ですから、担当するシーンは当然メカアクションやバトルシーンが中心のはずです。市街地なら市街地らしくビルを作って、キャラを配置して馴染ませて、爆発させてエフェクト作って破壊して――庵野秀明が脳内に描くイメージを、増尾さん率いる若手中心のデジタルチームが映像にして具現化させる。
つまりこれら増尾さんの作業とは、特撮映画に当て嵌めれば特撮監督=特技監督にあたる仕事なわけです。
わかるような、わからないような?


――では、「特技監督」とはそもそも何なのか。「特撮監督」とはどう違うのか。


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森 岩雄(もり いわお、1899 - 1979)  映画プロデューサー

戦前の創立から50年代の黄金時代まで製作本部長として東宝映画を率いた森岩雄P。東宝映画といえば文芸作品より庶民向け娯楽大作のイメージが今でも強いですが、その礎を築いたのがこの方。戦中、低俗な娯楽作品やめろ翼賛会の方針に沿って文化的かつ高尚な映画を作らんかいと圧力を受けてもやかましいわと突っぱねて憲兵にボコボコにされた気骨の持ち主。

この森岩雄さんが、可愛がっていた円谷英二に与えた役職が「特技監督」であります。

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円谷 英二(つぶらや えいじ 1901 - 1970) 特撮の神様

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「ゴジラ」(1954)/「ゴジラの逆襲」(1955)

1954年の「ゴジラ」で空前の成功を収めた後、森はすぐさま第二作「ゴジラの逆襲」製作を指示。前作の成功を受けて、仮住まいから前作の数倍の規模にあたる特撮専用スタジオが急きょ建設され、合わせて特撮班の待遇も大幅に改善された。その待遇改善の一環として、特撮チームを率いる円谷に「監督」を名乗らせることになったわけです。部下にとっても、上司が「班長」より「監督」のほうがずっと誇らしいでしょうからね。


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有川貞昌(ありかわ ていしょう 1925 - 2005)/中野昭慶(なかのしょうけい 1935 -)

円谷英二の引退後は弟子の有川貞昌が二代目特技監督を引き継ぎ、有川の東宝退社後は中野昭慶が三代目特技監督を引き継ぎました。
つまり、「特技監督」には「東宝映画・円谷特撮の伝統を引き継ぐ存在」という重要な意味があり、ほかの映画会社の特撮監督とは違って、一つの時代には只一人しか存在していない。

そしてこのことを、特撮博物館なんてものまで開催する特撮マニアの庵野秀明が把握していないはずがないんですよ。
誰より特撮を愛してやまない庵野秀明その人が、自身のキャリア集大成たるヱヴァ新劇場版において、増尾昭一さんに「特技監督」の称号を与えた。
もちろん名誉職としてではない、そんな形式的なことを庵野秀明はしない。増尾さんの仕事はまさにそれだ、自分たちが子供の頃に憧れた特技監督そのものであり、今の時代にそれは貴方一人しかいないんだと。それが庵野秀明の、増尾昭一という才能に対する評価なのですね。

そしてここから逆算して考えていくと、増尾昭一さんがヱヴァ新劇場版においてどういった仕事を担っていたのかも、おぼろげに見えてくると思うんですよ。要するにもしもエヴァが特撮映画なら、その特撮全般を増尾さんが責任者として仕切っていた、と考えればいい。






■中野昭慶フラッシュ

これは80年代にガイナックスがやり始めたエフェクトですが、発案/命名者は樋口真嗣or庵野秀明or増尾昭一と諸説あり今だに判然としない。僕は増尾さんの功績に入れちゃっていいんでないかと思ってるんですけど。


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トップをねらえ! #05 (1988)
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ふしぎの海のナディア #31 (1991)


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そもそもこの「フラッシュ」は中野昭慶特技監督が爆発エフェクトの前によく使う謎の光のことです。ガイナの中野フラッシュはスミア的閃光とワンセットになっていますが、中野昭慶さんがこの横一文字の閃光部分を常用していたわけではありません。
以下はそれっぽい横の閃光がある部分を探したもの

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クレージーの大爆発 (1969) 特技監督:中野昭慶

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ゴジラ対メカゴジラ (1974) 特技監督:中野昭慶

この横に伸びる光の正体はシネスコ用のアナモルフィックレンズの特性によるレンズフレアで、コントラスト下で受光部が極端に強い光を受けると偶発的に発生するんですね。この特性のフレアを効果として活用したアニメもわりと前からあります。もちろん、それっぽく描いてあるという意味でですけど

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劇場版 銀河鉄道999 (1979)

↑これとかですね。

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まったくの余談ですが昔の映画のEDクレジットなどにパナビジョンのロゴがあったら、その作品はアナモルフィックレンズの提供を受けてますよという意味らしいです。


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(OVA) 幻夢戦記レダ (1985)

レダの増尾パート、その後の中野昭慶フラッシュに至るT光エフェクトの未完成形にも見える

時系列的にはこの時期メガゾーンの作業中に樋口さんがグラビトンに押し掛けたはずで、増尾さんと樋口さんの出会いも84年ごろと思われる。樋口庵野はその後大阪で八岐大蛇の現場に参加、樋口さんはそのまま1年以上大阪に居着き、3人が再び合流するのは2年後の王立から。どこかで中野フラッシュに関しての何らかの知見共有が3人の間であったはずだけど、具体的に語られてる資料を見たことがない。そのうちぽろっと何か出てくるかも。
いずれにせよトップナディアを経て完成された中野昭慶フラッシュはガイナの伝統芸になり、やがて外部にも伝播されていった。

伝播されていったというか、伝播したのが当の増尾さん御本人っぽいんですけど。→ 


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ケロロ軍曹 #252 (2009) 佐藤昌文回 (上下トリミング) サンライズ

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伝説の勇者の伝説 OP2 (2010) 川崎逸朗 ゼクシズ




■中野爆発と増尾破片

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連合艦隊 (1981) 特技監督:中野昭慶

80年代に増尾さんがよく描いていた破片に似ている。形状といい、タイミングといい。以下イアキMADご参照ください。


イアキさんの増尾MAD part1

増尾昭一(Shoichi Masuo) 爆発作画集(Effects drawing) PART1 from rakudai on Vimeo.





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2017春アニメ ID-0  


■ID - 0 アイディー・ゼロ http://id-zero.com/

空間転移を可能にする未知の鉱物「オリハルト」の発見により人類が宇宙進出を遂げた未来世界。試掘現場で突発事故に遭ったアカデミーの学生マヤは、民間採掘業者エスカベイト社の宇宙船に救助されたが、自分が罠にはめられ不正取引の主犯として指名手配されたことを知り、促されるままにエスカベイト社で働き始める。


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スランプ続く名監督谷口悟朗、脚本黒田洋介のスクライドコンビ+制作サンジゲンの3DCGによるSFアニメ。世界コスプレサミットの小栗徳丸Pが谷口監督の幼馴染で、二人の数十年ぶりの再会から企画がスタートしていったという変わり種だそうです。

内容はスペオペ要素もあるSFだけど序盤は学生ミクリマヤを中心とした宇宙お仕事物といった趣き、中盤から移動天体ラジーブをめぐる騒動とエスカベイター・イドの出自にまつわる謎が物語の中心となる。ちなみに「ラジーブ」とはサンジゲンの重役カルキ・ラジーブ氏にちなんだ名前とのこと


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エスカベイト社は一般企業でありメンバーは軍人や戦闘員ではなく探鉱夫、労働者である点を強調したい意向だったようだが、画面から受ける印象はあまりそういう感じでもなかった。せわしなく事件や問題が発生し労働を描く暇がないせいか、あるいはデザインが洗練され過ぎてスマートかつスタイリッシュだからか。見た目にも華やかな美人を配置しある程度オシャレじゃないと、むさ苦しい愚連隊みたいな集団ではお客さんに興味を持ってもらえない売上が見込めない的な製作の計算もあるだろう。いずれにしてもソーラン節の導入など各所不合理で、意図した成功を獲得してるようには見えない。ジジイ&おっさん成分が足りない。

つかメカデザイン、別に良くないですよね。海老川兼武という人のメカデザインは何をやらせても面白味がないと僕は思うんだけど(この方のモニターグラフィックだけは凄く上手い)なんで採用されるんですかね。
多分、僕の感性がズレているんでしょう。

#12
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ラジーブが接近してきて軍ボロ負け人類存亡の危機、一度はトンズラしてどっかに移住するという立案がありながら、結局はイドの意向に全員喜んで付き合うという謎の空気が醸成され、あとは終盤の詰め込みによる巻きの雰囲気と勢いで突撃が開始される。ハリウッド的なヒロイズムではなく、仲間キズナ第一主義なところが日本アニメ的であり、それも谷口作品らしいところ。

でも彼らには本来、あそこで逃げられない理由があるはずなんですよ。
人類存亡の危機という局面において、なぜ軍人でもない彼らが身を捨ててそこに立ち向かえるのか。これはとても重要な命題で、彼らにとってはあの場面で逃げるよりラジーブに突撃するほうが幸せな理由がある。
要するに「自分が存在していたということを誰かに覚えていて欲しい」ということです。

彼らは一様に帰属社会からはじき出され、忘れられた人たちで、エバートランサーに至っては生きているのか死んでいるのかさえ自分でもわからない。自分は本当に生きているといえるのか、彼らは繰り返し自己に問い続けてきたわけです。カーラが肉体に拘泥して仲間を売ってしまうのも、イドがそれを理解するのも、リックが所属していたレース業界の動向に注目するのも、突き詰めると理由は全部同じで、(仲間以外の)誰も自分を知らない、自分という存在の曖昧さが不安で仕方ないからなんですよ。

だから彼らにとっては、最終局面でラジーブに突撃するのは「労働」などというレベルの話ではない(はず)。自分の存在を人類に認知してもらう千載一遇のチャンスであり、安全な場所に逃げのびて幽霊のように長生きするよりも、それは生き様としてずっと価値がある。彼らは自ら生まれに行った、再誕を目指して突撃したわけです。だから、あそこでソーラン節=労働歌はやっぱり違う。



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モデルは非常に美しく、よく出来てるんですけど。マヤ、別にいなくてもよかった。
#04の救命で一応役に立つものの、デルタ9の掘削にしろイドの見積りを補完する程度の仕事しかしてない。中盤以降アリスのお守り&オペ子に専念、社長からは指示待ち人間呼ばわりされ、その汚名を返上する活躍を見せることもない。

物語において男女の出会いは、互いの世界観が逆転するほどの衝撃をもたらすべきと僕は思うんですよ。
これは、必ずしも恋愛関係を結ぶ必要はない話です。しかし「イドの犯した罪、過去」を明らかにする真相解明部分、あるいはすべての問題解決に関わる最終ステージに、なぜマヤが関わらないのか。マヤは何をするためにこの物語に登場したのか。
マヤと出会ったことでイドの価値観が大きく変わる、あるいは最終的にマヤだけがイドを救える、という話でなければ、二人が出会った意味がない。


category: アニメ

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2017春アニメ 武装少女マキャヴェリズム  


■武装少女マキャヴェリズム http://machiavellism-anime.jp/

外部から不良少年を受け入れては「武装女子」が矯正する、そんな更生施設の側面をもつ名門校「私立愛地共生学園」にアウトロー納村不道(ノムラ・フドウ)が転入してくる。平穏を愛する自由人ノムラだが、学園屈指の実力者集団「天下五剣」は彼を放置せず、矯正を名目とした刃傷沙汰が始まるのだった。

というような話でした。


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伝統的なヤンキーマンガ、番長マンガのフォーマットに当世風のロリ美少女を敵役として配置した作品です。「天上天下」や「一騎当千」、また「監獄学園」等とは違い肉体的エロスや女性美をことさら強調せず、バトル展開や技解説ウンチクに至るまでワリと丁寧に作り込まれた剣術設定の硬派さと、比較的チョロいヒロインたちのデレっぷりとのギャップが独特の世界を形作っていますね。


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刀剣を用いる「天下五剣」に対して主人公・納村不道(ノムラ・フドウ)は武器道具を使わない徒手空拳の使い手で、軽薄そうな物言いとは裏腹に粋な男気を見せたり時にしびれるような自論を吐いたりするので好感度は非常に高いです。

一方で彼は降りかかる火の粉をその都度払っているだけに過ぎず、彼自身の持つべき行動目的などを明示しないため、シリーズ全体の縦軸・大きなストーリーはどうしても弱いです。




・アモウ
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この作品で一番失敗してるのがラスボスの女帝、彼女はあまり魅力をもって描かれていない。最大の脅威がカウンター攻撃という点も消極的だし、そもそも何がしたい人で、なぜ突如として殺戮に及んだのかも曖昧であり、目的がわからないから手段を選んでいるのかどうかもわからず、「手段を選ばない人=マキャベリズム」を体現していない。そして武装もしていない。

#09
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さとりの写真が届き、それが挑発となって女帝が動いた――という流れのようなのですが、わかりにくい。
因幡月夜が最初スルーされる点から考えると、恐らく「ノムラと仲良くしてる五剣むかつくブッ殺ス」という流れの話なんだと思うんですけど

さとりの写真を入手し、それを使って女帝を動かした人間がいるわけでしょう。そこを話の主軸にしたほうが面白かったんじゃないですかね。ていうか、それを見せなくてどうする





・OP
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このアートディレクションは松根マサトさんの仕事ですね。軸をズラした3つの三角形が奥行を作ってる。
そういや全体的にカッコよかったOPでさえ女帝のカットは地味だったな



#02
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シャワー、体表面を流れていく水の表現(左ノーマル、右は明度-60)


category: アニメ

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リーニュクレールとは何か  

・先日ツイッターで流れてきた画像について触れた件。


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ヤン・ナシンベンネ Yan Nascimbene (1949-2013)

イラストレーター。70年代にパリで写真家としてキャリアスタート。カリフォルニアで美術を学び、80年代にパリに戻って老舗出版社ガリマール社の表紙画家として採用される。この時37歳。以降300冊以上の書籍を手掛けて高い評価を得、表紙・挿絵画家として数々の賞を受ける。51歳の時に再びカリフォルニアに移住。

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商業イラストレーターですから、日本的モチーフを描いているからといって日本文化に影響されてるとは限りません。主に海外サイトを掘ってみましたが新版画への傾倒に直接言及しているインタビューなどは発見できませんでした。ただやはり多くの評者が川瀬巴水とエルジェからの少なくない影響を指摘しているようです。
Yan Nascimbeneで画像検索


――エルジェって、誰?


エルジェ (Hergé、1907-1983)
ベルギーの漫画家。日本アニメのファンの方はあまり興味がないかもですが「タンタンの冒険」(1929)で有名なバンドデシネ界のレジェンド。彼の画風にも巴水や新版画の影響を指摘する声は多くあります。もちろん、海外の評価です。
↓画像の岩や波の描き方など

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1975年、ロッテルダムで催されたエルジェ回顧展に際し、オランダ人漫画家ヨースト・スワルテが提唱した<エルジェの「タンタンの冒険」を祖とする、バンドデシネ全体に影響を与えたクリアなラインスタイル>を総合して「リーニュ・クレール」(ligne cleire 訳すと「クリアな線」)といいます。

均一な太さの線を用いて人物や近景・遠景、時には微妙な光や影の境界線までもくっきりはっきり描き込んでいくスタイル、色塗り前提なのでハッチングやカケアミはほとんど使わない。かのメビウスさえもこれにより作風を変え大成、ゆえにリーニュクレールが世界のコミック・アート・映画・アニメーションに与えた影響は計り知れないものがあります。


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日本にも樺島勝一という漫画家がいましてね。エルジェそっくりのクリアラインスタイルでありつつ、1923年(大正12年)ですから、エルジェより数年早く登場してる。この件を知ると誰しも戸惑うんですけど(上の画像は復刻版のもの)
そういえば、ポンポンのついたニット帽は昭和のころまで「正ちゃん帽」と呼ばれてました


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樺島勝一もエルジェも、源流をたどれば浮世絵に行きつくと単純に考えればこのシンクロニシティにも納得がいくでしょうか。エルジェがアーキタイプになったのに樺島勝一がそうならなかったのは、一方がジャポニズムのもたらしたパラダイムシフトから続く道行きであり、他方が西洋化・社会変革によって古くさい前時代性を排除しようとする逆流のただ中にあったからかもしれないですね。


「リーニュクレール」は狭義においてエルジェの作風にリスペクトを捧げるバンドデシネ作家特有スタイルを指しますが、少なくない影響力があったせいか、今ではコミック・アート・美術・写真や映像等広範にわたる用語となっています。同義「クリアラインスタイル」と呼ぶケースも多々。
最近ではデジカメのアートフィルターにも採用されてるくらいです。


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国内だと、とりわけ有名なのが鈴木英人さんですかね。80年代の人気は凄かったです。当時の主要モチーフだった西海岸の強い日差しや空気感を表現するのに強いコントラストとくっきりした実線トレスが有効だった。年月を経て、今は和風テイストをたくみに取り入れ、さらなる新世界を構築されてます。


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わたせせいぞうさんも国内リーニュクレールの代表格。エルジェからの影響は普通の人にはよくわからないかもしれませんが、例えば有名なエルジェフォロワーであるテッドベノワの絵など見てみるとテラわたせです。それぞれに独自の世界を構築しつつも、彼らが如何にエルジェにリスペクトを捧げているかがわかると思う

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そのわたせ氏をリスペクトする江口寿史さん、彼もまたクリアラインスタイルだけど、バンドデシネ的なテイストを僕はあまり感じないな・・・。江口寿史さんの場合元祖萌え絵師というか、たとえばナゲルなどの影響のほうがより大きいんじゃないですかね。ナゲルもまた浮世絵の影響を感じさせるアーティストですよね。


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つちもちしんじさん。つい最近「東京下町百景」で有名になった方。冒頭のナシンベンネと近い、新版画&エルジェのテイスト。新味と郷愁、柔らかな線と深みのある色使い、どう描いても地味になりそうなところを実に上手く、緻密に描く



ここからは、リーニュクレール=クリアラインスタイルのアニメへの導入例を見ていきます。


■カリフォルニア・クライシス 追撃の銃火 (1987) OVA
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監督、脚本 - 西久保瑞穂
キャラクターデザイン、作画監督 - 奥田万つ里
美術監督 - 新井寅雄

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西海岸と砂漠の町の空気感を出すために、80年代当時大流行していた鈴木英人テイストをアニメに導入しようと試みた野心作。キャラデはシュラトや銀英伝の奥田万里さん
タツノコのDNAがもたらすスリリングなカーチェイスと、独特の雰囲気をもつ美術・アートスタイルを楽しむべき作品であり、ストーリーはまあ、どうでもいいとまでは言わないけど、まあ。
VHSでは細部が潰れてるので高画質で見たいものだけど、今更DVD化はされないだろうなあ



■ロボットカーニバル「明治からくり文明奇譚〜紅毛人襲来之巻〜」 (1987) OVA
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監督 - 北久保弘之
美術 - 佐々木洋

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アニメーター見本市のようなオムニバス形式の作画祭り作品中の一品。細部まで描きこまれた高水準の美術、ことに中間色の繊細な塗り分けと階調に新版画的なテイストを感じる。鮮やかなブルーを用いないせいか、巴水よりは吉田博といった趣き。




■B・B BURNING BLOOD (1990) OVA
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監督 - 出崎統
美術監督 - 朝倉千登勢

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石渡治の原作コミックを全3巻OVAとして出崎監督で映像化。当初は何か新しいことをやろうとしたらしく、1巻はカゲや光に徹底してくっきり実線トレス。原作マンガはクリアラインスタイルではないけど、せっかく舞台が横須賀なのでアニメでは英人風に海沿いの空気感を出そうとしたのかも。
出崎「だめっぽいな」杉野「だめっぽいっすね」~けっきょく2巻以降は普通の色トレスに戻る。




■月夜の晩に (2011)
監督 - 柳沼和良

スタジオ4℃の短編作品集「デジタルジュース」の一編。クリアラインスタイルだけど、これをして鈴木英人風と評しているサイトもあった。見る人によってはそう見えるのかも。最後の少女とロボットのシーン(田中達之パート?)が好きです。ヒロインがちょっと痴女




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■つり球 (2012)

監督 - 中村健治
キャラクターデザイン - 宇木敦哉
美術デザイン - 倉橋隆、保坂有美

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湘南海岸、江の島が主要な舞台ということで、美術にクリアラインスタイルが導入されている。考えてみれば、このスタイルが日本では海辺の空気と一体化してるのが興味深い事実ですね。まあ鈴木英人さんのせいでしょう


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■ゆるゆり♪♪(第2期) (2012) ED

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ここにも柳沼和良さんが。多分これ背景も柳沼さんですよね。パントーン風カラーやポップアート的な80年代スタイルが本当にお好きなんだと思う。すごくわかる





■〈物語〉シリーズ セカンドシーズン #23 OP (2013)
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これは当時も話題になったクリアライン・スタイルで80年代テイストの引用、一種の諧謔(かいぎゃく)というかユーモア。往年の名匠という扱いなのか上條修さんまで引っ張り出して、お遊びにも本気度がうかがえる。
画像二枚目の天井構造物の雑さがいい。





■久米田康治『かくしごと』①巻アニメPV (2016)
絵コンテ:新房昭之

本格的なリーニュクレールなのにシャフトがやると全部「シャフト作画」になる不思議



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■有頂天家族2 (2017)

監督 - 吉原正行
美術監督 - 竹田悠介 岡本春美

抽出した線幅をくっきり太目に均一化して新版画風に仕立ててる。京都にはやはり朱が似合うし青も映える。光と影、水と土と木々、階調化された路面の塗り分け――どこか懐かしくも目新しい、本物っぽくてマンガっぽい、作品テーマにも深く合致する美術。眼福です。




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記事の本題とは違うけどこのガラスの表現すごい


category: アニメ

tb: 0   cm: 8

イマジナリーラインの越え方を見る  

画面内にいる人物2人を結ぶ直線がイマジナリー・ライン。映像の世界においては、カメラがこの線を越えて撮影してはならんという原則があります。

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なぜ越えちゃいけないのかというと、要は方角がわからなくなるからです。
あるカットで左を向いていた人物 (上図カメラBの映像)が、続くカットで右を向いてたり (同カメラC)すると視聴者は混乱し、疲れてしまう。なのでイマジナリーラインを越える撮影は避けましょうねという基本ルールがあるわけです。

まあこれは実写とアニメではまた違う、劇場とTVでも微妙に変わる話だったりするので、もし混乱の心配がないのなら越えちゃってもかまわない。「咲 -Saki-」の試合シーンなどがそうですね。あれは席が固定で移動がないですから、どんな方向から撮っても混乱は少ない。

実は混乱があったとしても、関係なく越えてかまわないんですよ。妥当な理由があって、越えちゃった方が演出的に良い映像になる場合、ルールなど無意味です。盗んだバイクで走り出します。

一方で「イマジナリーラインなんか大した問題じゃない、見る方は誰も気にしねえよ!」と豪語する視聴者がたまにいますが、それは映像を見て方角を察知する感覚に優れた方か、逆に演出に惑わされてる可能性があります。今回はそのへんの話をしようと思う。



■艦隊これくしょん -艦これ- #01 (2015)
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鎮守府、提督室前廊下。新たに着任した吹雪と同僚・睦月の最初の出会い。緊張する吹雪は、深々とお辞儀をした拍子にカバンを落とし、床に荷物をぶちまけてしまう。


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カメラはローポジション、下手からフレームインしてぬいぐるみを拾う人物。流れで睦月とわかるが、イマジナリーラインを越えているため急に左側から人が現れたような違和感が残る。


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上のイマジナリーライン越えは唐突で一見無意味に見えるが、普通に右側から睦月がINして淡々とぬいぐるみを拾うよりも流れに起伏がもたらされ、続く睦月の笑顔の印象を結果的に強めているように見えます。


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重要なのはその後で、窓枠を正中にした2ショットに光が差し二人の出会いが祝福される構図が生まれます。
これはイマジナリーライン越えによる位置入れ替えの効能で、本来ここの背景は見た目にも退屈な反対側、板張りの内壁だったわけです。やはりあのタイミングで越えるしかなかったと僕は考えますが、どうでしょう。


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イマジナリーライン越えの構図は背景パースに脚なめ、人物2人。前回のクラナドも後頭部なめ構図でした。これは方角的な混乱に配慮した慎重な選択であり、該当のイマジナリーライン越えが一定の演出意図に基づくものと判断できる材料となります。




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■舟を編む #05 (2017)

慕ってくる馬締のために不安や動揺を隠し、善き先輩として振る舞おうとする西岡。
強引な下命に腐っていた西岡が、改訂版に取り組む馬締の姿勢に感服し自分に欠けているものを見出す一連。


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背景の棚板を利用したアイラインマッチに、目線カットした横顔クローズアップでイマジナリーライン越え。長台詞だけど芝居も絵面も抑制的で、情報量を極力減らして西岡の感情を視聴者に探らせる。

通常イマジナリーライン越えの演出では前述のとおり方角の混乱を避けようとする、しかしこの各話の場合は引き算的な攻めのコンテ、視聴者への配慮さえ捨て去って印象を強めることに徹しています。
イマジナリーライン越えの絵に殺風景な背景と顔の下半分だけ、これにはそれなりの勇気が要ったはずです。艦これやクラナドの用例とは真逆の、こういうやり方もあるということで。



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category: アニメ

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