大匙屋

健康第一

パン+アングルショット  

カメラ位置が固定されるため、回り込みに比べて冷静で客観的な映像に仕上がる傾向があります。
アングルショットは映画の用語です。アオリやフカンのことです。パン+アオリ・フカンというのは要するにフォローパンや付けパンのことかと思う方もいらっしゃるでしょうが物体や人物を追いかけないパンもあるので何か他に総合的な名称ないでしょうかね。


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■幼女戦記 (2017) #04

人物間の身長差を強調する、アイレベルに近いアオリパン。目線と、書架の横線が効いている。幼女戦記はデグレチャフと周囲の身長ギャップをうまく活かしたレイアウトが随所にあってそれも見どころですね。


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■幼女戦記 (2017) #05

アオリのパンはやはりこういう飛行物体のフォローが定番


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■結城友奈は勇者である (2014) #05



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■デス・ビリヤード (2013)

フカンのパンはアオリパンに比べ見かける機会がとても少ないように思います。何かが地面を移動する絵は、物体が空を駆ける絵よりレイアウトも美術も高負担で迫力のある絵作りは大変だけど、やはりその分大きな見応えがあります。何か知ってたらゼヒ教えてください。


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■花とアリス殺人事件 (2015)

この作品はとても興味深かったです。カットの切り方やつなぎ方などが実写映画寄りで、こんなに違うのだなあと感じることしきり。



■映画けいおん! (2011)  参考画像(拾)


関連記事
http://sajiya.blog89.fc2.com/blog-entry-479.html
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category: アニメ

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回り込み+アングルショット  

気合の小更新


■ハンドシェイカー (2017) #01

アオリ&回り込み。これ芝居の作画もすっごい綺麗ですね~
アングルショットの回り込みはカメラが移動する分パンよりも主観的な視点が強調されます。いわゆるクレーン撮影とも違って構図が安定していて、奥行や距離感、また対象の心理などを表現しやすい
GoHands作品は演出効果を綿密に計算するというより視聴者を振り回して楽しませたいというサービス精神が先行してる感じなので、それに応じて楽しむのが正解でしょう。この作品のカメラワークも初回からあちこちで飛ばしてますね。書きたいこともいろいろあるんでまたいずれ



■凪のあすから (2013) #01

アングルショットで回り込みというとこれを思い出す
2カット目(フカン)の方が労力的に大変なのだろうけど、1カット目のリズムを持ち越して巧みに省力化してますね



■翠星のガルガンティア (2013) #13

全天周モニターがロボアニメに導入されてかなりたつけど、こういうカットは過去に無かった気がする不思議。僕が見逃してるだけか?


■君の名は。 (2016) 




■げんしけん (2004) #03

フカン回り込み
唐突な2Dワークス(貼込み)でぎょっとした記憶がある。2004年にしては良くできてます。



category: アニメ

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ACCA #06 歩き作画  

■ACCA13区監察課 #06 (2017)
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06話中盤、本部長訓示後の廊下歩く一連
2コマ中7、僕は最初3DCGだと思った。でもこの一連、全部作画らしい。


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フカン 2K中7


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ローリング作画(ローリングとは上下動のこと)これも2K中7
服の細かいパーツや、線のヨレ方から見て作画、とのこと。
(レイアウトはともかく)人物はめっちゃ上手い。ただ歩いてるだけでここまで描く必要あるのか。



・弥芳さん、たまん君ありがとうございました。




ちなみにこれは3DCG (と思われる)

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■ゆゆ式 #01 (2013)

フルコマ、中14枚 線やパーツが安定していて乱れがない

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「屍者の帝国」のハッピーエンド  

今回はメールへの回答を公開で。(了承済)


(要約)
> 映画の「屍者の帝国」は見ましたか? 大匙屋さんはどういう感想ですか? 
> 私は途中まで面白かったのですが、終盤では何が起きたのかよくわからず、 
> 最後のエピローグも蛇足だと思いました。


そういえばTLにも話題が流れていたのでどうしたのかと思ったら、つい最近地上波で放送されたようですね。2015年秋公開の牧原亮太郎監督作品。「虐殺器官」のプロモーションを兼ねた編成でしょうね。

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http://project-itoh.com/contents/#/empire/top/

僕は原作の持つ文脈にはあまり興味ないですが、これを劇場アニメ化して二時間の尺に収めるのは大変な困難をともなう仕事だと思います。まず困難にチャレンジされているという時点で、このプロジェクトを無条件に称賛しますし応援もします。そのうえで「よくわからねえなあ」と見た人が感じる映画をせっかくお金を掛けて作っている、そこへ「これはこうだよ」とわかった風な解説を加えるのは無粋なことで、この作品を応援したいという自分の気持ちに矛盾します。
それなのに今回これを書く気になったのは、この作品がスーパーハッピーエンドでありながら今ひとつメール主(観客)に伝わっていない、そこに耐えきれないもどかしさを感じるからです。なので以下はあまり真面目に受け止めず「オッサンが何か言っている」程度の気楽さで読み飛ばしていただければと思います。

※以下ネタバレ全開ですので未見の方はご注意



■映画版「屍者の帝国」が途中まで面白い理由

この作品はワトソンが親友フライデーの失われた魂を復活させたいという動機のもとにスタートします。英国ウォルシンガム機関の指揮官「M」の命令に従い「ヴィクターの手記」を探し求めて英国領インド(ボンベイ)~アフガン~日本へと旅しますが、Mの命令で「ヴィクターの手記」を探すこととフライデーの魂を取り戻すことはワトソンにとって同義なので、前半はブレません。
問題は日本を出て船旅後、サンフランシスコの地下水道に入ってからです。


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地下水道内でペンを持つ動作によって「そこにフライデーがいる」ことを確認した後、ハダリーのセーフハウスでワトソンはフライデーを初期化する。
ワトソンは「フライデーの魂を復活させたいという動機」をここで断念するんですよ。これがわかりづらい。


大里化学で「ヴィクターの手記」を解析したフライデーは狂暴化

結果的にフライデー本来の人格も目覚めた

フライデーは狂暴化した自分を制御できず、このままだと親友ワトソンを殺しちゃうので自殺しようとした

自分の望みがフライデーを苦しめていることに気づいたワトソンはフライデーの魂の復活を断念、初期化


流れとしてはこうです。台詞ではこれを説明していないので、よく見ていないと理解できない可能性がある。このあとザワンから通信が入ってMの野望を知り、それを阻止する行動に出るんだけど、それは映画前半の行動目的には含まれていなかった突発的事態なので、話が急にとっ散らかったような印象を受けるわけですね。




■終盤で何が起きたのかよくわからない理由

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まず「M」の目的は本人が言ってる通り「悩み無用、人類みな屍者化」ですよね。ザワンの能力をヴィクターの脳&チャールズバベッジで増幅拡散してそのへんにいる屍者を制御し人を襲わせ手記で魂を上書きするとか、そういう理屈だと思う。

ハダリーキックで「M」が倒れたあと、ザワンは(予定通り)舞台を受け継ぎ、花嫁再生に取り掛かります。
なぜここで急に「花嫁」なのか?
フランケンシュタインの物語を承知してない場合、意味がわからないと思う。フランケンシュタインの怪物(=ザワン)は孤独なので花嫁を求めてるんです。これはもう、元々そういう話なんで、理解するしかない。

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右上にMonster demands a mateと書いてある、もうね彼は本当に孤独がイヤなんですよ。仲間が欲しくて、仲間を得るため、嫁を得るためだけに世界を徘徊してる。彼にそれ以外の存在目的はないんです。

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これがその1935年の映画ですけど、早く嫁を作らせるために睡眠も与えず博士をコキ使う。ブラックです。
ビクター・フランケンシュタイン博士は怪物(ザワン)の生みの親であり世界で唯一の創造神。だからビクターの脳をザワンはずっと探していた。嫁を得るために。人造人間は作ろうと思えばほかでも作れるけど、ほかで作った嫁は本物ではない。本物は唯一神の中からしか生まれてこない。
「M」の謀略によって材料と舞台が整ったので、ザワンは予定通りそれを利用した。


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意思とか物質化した言葉とか、要するに実体化し粒子化した魂。花嫁の魂を作り上げる微粒子レベルの材料。ビクターの脳内にある設計図に沿って、必要なものが採用される。ここはもう生死の境を越えた空間なので、生者は死に、死者は蘇る、フライデーもこの空間でだけ復活できた。



■ハダリー機械にしては性的過ぎない?

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ハダリーは純粋に男の欲望を100%満たすために作られてます。元ネタ参照
キャラクターデザイン時のモデルはスカヨハあたりでしょうか



■最後どうしてああなったの?

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ロンドン塔事件後、手記の解析が完全に終了したっぽいことは結晶化からわかる。ワトソンはビクターの秘術を完全解明したと見るべき。にも関わらずこれをフライデーに施術しない理由は二通り考えられる。

(1)そもそもビクターの手記を使ってもフライデーの魂は復活しない
(2)フライデーを復活させられるけど、やはり復活させるべきではないとワトソンは考えた

いずれにせよ彼は封印を選択した、情報を全部破棄して自殺しても屍者として復活させられるor脳を保存されたらビクターの情報が残るため自分だけ死ぬわけにもいかない、しかし禁忌に触れ多くの犠牲者を出した「落とし前」はつけなくてはならない



■あのエピローグはどういう意味なの?

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まず前提として、ワトソンがフライデーを放り出して自分だけ別人になるとは考えにくい。必ず信頼できる、事情を知っている誰かにフライデーの今後を託したはずです。これは登場人物内だとハダリーしか該当しないので、彼女がその後のフライデーの面倒を見ていると考えるのが自然です。


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「アイリーン・アドラー」と名を変えたという会話があります。シャーロックホームズ小説に出てくる奸婦の名前ですが、山師で食わせ者です。ここでいうアイリーン・アドラー=ハドソン夫人なのだと思うんですよ。ベーカー街221Bの女主人。

上の画像で彼女が着ているドレスはレッグオブマトン(ジゴ袖)、肩部が大きく膨らむ、1890年代に欧州で流行した「エレファントスリーブ」です。エピローグの年代は1883年ごろなので、この袖は若干不自然に流行を先取りしていると言える。10年くらい早いんですよ。
僕はこの袖が「名探偵ホームズ」(1984)のハドソン夫人へのオマージュだと思うんです。

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オマージュっぽい場面ここにも

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「相変わらずよ」「彼なら新しい相棒とロンドン中を駆け回っているわ」この台詞は、ワトソンの近況・日常を随時知り得る立場にハダリーがいることを示している。そしてハダリーはワトソンからフライデーを託されている。このことから考えられるエピローグ時の彼らの立ち位置は

■ハダリーその後
裏ではアイリーン・アドラー、表向きはハドソン夫人としてベーカー街221Bにてホームズ、ワトソン、フライデーの面倒を見ている。

■フライデーその後
ワトソンの行動を観察し、記録し続ける=アーサー・コナン・ドイル。すべての言葉と行動を書き記す宿命。後年、イアン・フレミングとしてスパイ小説を執筆。その後極秘裏に来日し、とあるSF作家として注目されたのち大作プロットを友人に託し夭逝。あるいは今頃また別の誰かとして、どこかに…


こう考えると、あのエピローグは超ハッピーエンドに見えてきませんか。


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成果物をかすめ取って行く敵が許せない  

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■放課後のプレアデス(2015)/ミナト

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■魔法少女育成計画(2016)/ルーラ一味

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■フリップフラッパーズ(2016)/ヤヤカ


アイテム収集がミッションになっている作品に時折見られる設定で、主人公サイドが苦労して手に入れた成果物を平然と奪っていく、盗んでいく敵というのが僕はどうも苦手です。苦手というか、はっきり言って嫌い。許せなくて、いらいらして、八つ裂きにしてやりたいとさえ思う。

アンフェアな敵というのは別にいいんですよ。悪役というのはそういうものだし。ビーチフラッグ戦のような展開で、力で圧倒しつつ、ずる賢く知恵まで使ってまんまと主人公を出し抜いていく、そういう厄介な敵というのは全然かまわない。

たいしたコストを払わずに欲しいものだけ盗んでいく、というのがダメなんですね。そんなやり方がまかり通る世界設定に無力感を感じて心理的に距離を取ってしまう。つまり、コレ話が面白くねえなと思ってしまう。何だかバカにされたような気分になる。

世の中が理不尽で不平等なのはわかりきってる、何故わざわざそういう、うんざりする話にするんでしょう。この敵はダーティーなこともしますよ、この舞台は情け無用の厳しい世界ですよと理解させたいのはわかる。しかし僕は、おそらく制作サイドが意図する以上にそのキャラのことが嫌いになってしまう。越えてはならない一線を越えちゃっている気がして最後まで印象が回復しない。

プレアデスでは、スバルが赤髪に恋をするじゃないですか。あの場合認識云々あるとはいえ、こいつ正気か?頭わいてんのかと思いましたからね。嫌悪感が先行し、結果として作品全体の評価も下がってしまうほどなので、自分でもどうしたもんかと思います。

本当に必要なんですかね、敵がゲスな設定って。僕は見ていて不愉快になる、うんざりするようなキャラの出てくる作品のビデオソフトが欲しいとは思わないですよ。手ごわくて、憎らしいけどカッコいい、魅力のある敵が出てくる作品のほうが全然いい。

その敵は、本当に必要だから盗むんですかね。ゲスな演出がないとその作品は本当に成立しないでしょうか?その世界の厳しさや、非情さを見せるために、盗ませることが本当に唯一の最適解なんでしょうか?僕は作品にとってマイナスにしかなってないように思うんですけどね。






考えてみれば、これの最たるものがファンタジスタドール(2013)の清正小町(せいしょう こまち)ですわ。あれはひどかった。僕はアレのあと2年くらい名塚佳織の声を聴くのもイヤだった。もともと好きな声優さんだったはずなのに。


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